HCU(高度治療室)で断ち切った「私の悪習慣」

不適切な食習慣の積み重ねは、

その積み重ねたぶん、

きちんと自分に返ってきます。

 

食べることを極力拒否した食習慣は

生理を止めて

低体温、徐脈となって

生命活動の省エネを引き起こし

黄疸、倦怠感など肝機能にも影響を及ぼし、

エネルギー源となるブドウ糖が欠如するので、

人格が変貌するようかのような精神不安定状態になります。

 

食べることを拒否することは、

生きることを拒否することなので、

食べなければ当然心身ともに衰えていき、

最後には死を迎えます。

 

たくさん食べて吐く食習慣は、

拒食と違ってある程度の食べ物は身体に入ります。

吐く

といっても全てを吐けるわけじゃない。

上手に吐ける人でも、幾らかは胃に残っているはずなので、

生命活動は保たれますが、

食べたいでも食べたくない太りたくない

といった矛盾は

食べないことを一貫した矛盾ない拒食症と違って

精神的葛藤や苦悩が生じて鬱状態に陥ることもあります。

 

嘔吐物に含まれる胃酸が食道を通過することにより、食道が炎症を起こす逆流性食道炎

同じく嘔吐物に含まれる胃酸により歯肉が下がる、歯が欠ける

ダラダラと食べ続けては嘔吐することによる不衛生な口腔内環境に加え

脱水傾向による唾液分泌の減少が歯周病の悪化、虫歯の発生を引き起こします。

 

これらは、不適切な食習慣の積み重ねが引き起こす、ほんの一例です。

 

私は左上腹部

胃と脾臓の間に腫瘍ができたことで、長年の腐れ縁だった過食嘔吐から解放されましたが

その腫瘍も、不適切な食習慣に付随した積み重ねが原因となりました。

 

お医者様から原因不明と言われた良性腫瘍でした。

筋腫のようなものに近い

とも言われました。

 

実際にものができたのだから、

原因があるはずです。

 

左上腹部で胃と脾臓の間

筋腫のようなもの

 

まさに、その場所、その質に

不適切な食習慣に付随したものがありました。

 

何だと思いますか?

尋ねたところで、きっと誰も想像もできないようなことだと思います。

 

私は吐くことがヘタでした。

上手くなかった。

 

大量の水を飲んで圧の力を借りて

指を喉に突っ込んで吐きます。

 

ただでさえうまく吐けないのに、

もっとうまく吐けない日もあって、

 

太っちゃう!

自分が汚れちゃう!

 

指を喉の奥の奥まで突っ込んでも吐けなくて、

血だらけになった手を見て怖くなるのに、

もう少し吐かないと

もう少し吐かないと

と、指を突っ込む方向を変えて(左の喉を傷付けてたら右方向の喉ように)

恐る恐る吐き続けていました。

 

どれだけ水を飲んでも、どう頑張っても、吐けない時があった。

それはもう、絶望感しかないです。

 

食べちゃいけない自分を汚染する食べ物が

しっかり吸収されて

自分を醜く汚して破壊させるのですから。

 

うまく吐けない日があっても、

絶望感に打ちのめされる日があっても、

吐くことがやめられるわけじゃない。

いろんな理由で、そんな簡単にやめられるものではありません。

 

なので、考えを巡らせるのは

「いかに上手に吐くか」

になります。

 

そこである日、見つけてしまったんです。

サクッとうまくは吐けないけど、

前よりはうまく吐ける方法

 

「胃を手で押して圧迫しながら吐く」

 

右手は喉に突っ込むので、

左手で胃を圧迫します。

圧迫すると吐き出しやすい場所というのが

「胃の左下」でした。

 

私の腫瘍をお医者様は

「筋腫のようなもの」

と説明しましたが、

筋腫とは「筋肉が異常増殖したもの」です。

 

組織が長期間にわたり圧迫されることによって、筋肉組織のような腫瘤となったのでしょう。

 

腹痛という症状で腫瘤が見つかった時には、7cmにも成長していました。

 

「左上腹部に腫瘍があります」

「腫瘍が胃に接していて、腹腔鏡手術で切除が難しいようであれば、開腹します。」

「その際は、胃を切除することになります。」

 

 

そんなことを告げられたときは

何がなんだか

何が起きたのか

何で腫瘍なんてできたのか

何でこの歳で胃を失くすことになるのか

全く状況把握ができなかったけど

 

次の瞬間には

あれだ

あれに違いない

理解しました。

 

普通じゃないこと

都合のいいこと

 

生きているのに

食べて飲み込んで消化して吸収するという人間の営みに反すること

食べて飲み込む選択をしたのなら、その責任として消化して吸収して排便しなければいけないこと

 

命ある食べ物を粗末にしてきたこと

 

自然の摂理に反することを、私は延々やってきた。

その罰を受けただけでした。

 

 

腹腔鏡手術でも十分しんどかった。

 

手術後麻酔から目覚めた時のあの吐き気は、

「吐く」という行為本来のおぞましさを知りました。

 

 

24時間HCU(高度治療室)で導尿されて動けず、

エコノミー症候群を防止する窮屈な装具と、

ただ無機質な天井を見上げる時間と、

 

同じ空間にいる障害がありそうな高齢患者が、

処置をしているだろう看護師を、毎回毎回叩くバチバチという見事な音と、

それを冷静に注意する立派な看護師の声に

 

「もう二度と手術なんてしたくない」

そう思いました。

 

「私の胃は切除されず残ってくれた」

HCU(高度治療室)の無機質な天井を見上げて神に祈ると共に

 

「やったことは必ず自分に返ってくるんだ」と

涙しました。