なんだか似合わないな

と感じている服を処分しています。

 

自分という人間を纏うものとして、

ワードローブは少なくなってもいいから、

自分を綺麗に魅せてくれる服を

ピックアップして揃えたいなと思いました。

 

処分の対象となった服は

ずっと着ていないけどいつか着るかもと持っていた服や

昨年、ちょっと似合わないと感じていたけど勢いと好奇心で買った服などでした。

 

年齢で似合う服が変わるのは当たり前といったら当たり前ですし、

自宅の鏡で見たときにはそんなでもなくても、

出掛け先の鏡に写った姿を見て、

やっぱりちょっと違和感あるなぁと感じた服は、

だんだんと着なくなるものです。

 

これと「食事」も同じような感じで、

年齢とともに好みのものが変わってくるし、

その時には余裕で食べられても、

その数時間後に消化不良を起こして痛い目にあったりして、

若い頃みたいに食べられないんだなと理解して、

場合によっては食べ控えるようになります。

 

 

勉強している薬膳のテキストに、こんなことが書いてありました。

 

『30歳前後に陰陽のバランスが最も良い状態となる。この時期を過ぎると、陰陽の働きは少しずつ陰気が主導する方向に向かい、体力、精力が減退していく。陰と陽は量の変化から質の変化に変わる。』

実用中医学 一冊でわかる基礎から応用より

 

『陰と陽は量の変化から質の変化に変わる』

とありますが、

自分の解釈としては、

 

細胞を増殖させたり、骨格筋を強化させたり、

大きく成長させていくことが「量の変化」であり、

成長を超えた後の身体の維持・衰退が「質の変化」なのではないかな?

 

と思っています。

 

「量」はつかみやすく分かりやすいけど、

そもそも「質」は、どんな意味を持つのか調べてみると、

 

1 そのものの良否・粗密・傾向などを決めることになる性質。実際の内容。「量より―」「―が落ちる」

2 生まれながらに持っている性格や才能。素質。資質。「天賦の―に恵まれる」「蒲柳 (ほりゅう) の―」

3 論理学で、判断が肯定判断か否定判断かということ。

4 物の本体。根本。本質。

「結合せるを―とし、流動するを気とす」〈暦象新書・中〉

5 飾りけのないこと。素朴なこと。

古今集の歌よりは―なり」〈国歌八論・歌源〉

goo辞典より

 

 

1 そのものの良否・粗密・傾向などを決めることになる性質。実際の内容。

 

私が考えてみたことは、これに近いように思いました。

 

 

満ち溢れていた身体のピークを過ぎて、

身体が小さくなることはないけど、

身体の中身は変化する

 

細胞が最大数になって、

細胞の数が減るわけではないけど、

細胞自体は水分が減少していくなど変化する

 

女性ホルモンがピークとなって、

生理も排卵も変わりなく来ているけど、

女性ホルモンは減少していき変化する

 

 

「質の変化」は

ベクトルは衰退にあるけれど、

その時、その段階で、

「自分の身体を常に良好な状態で維持させる」

ことも質の成す部分だと思っています。

 

 

そんな身体の変化を思えば、

年齢と共に食べるものも変化するのが当然で、

特に30歳を過ぎて暴飲暴食を繰り返していると

身体とリンクしなくなる可能性が出てくるのも当然ということでしょう。

 

 

食生活において健康を守ろうとした時に、

 

無農薬野菜や有機野菜、

国産の生産者がわかるものなどを食べることができれば

それに越したことはないのですが、

 

口にする素材のみならず、

いや、それ以前に大前提として

 

「暴飲暴食をせず、腹八分を守り、アルコールやジャンクフードやスイーツを控えめに」していけば、

 

健康に問題が生じる可能性は極めて低いのではないかと思っています。

 

あっちでもこっちでも美味しいものに溢れる日常、

ストレス過多で、その解消として食を求めてしまう生活、

 

「暴飲暴食をせず、腹八分を守り、アルコールやジャンクフードやスイーツを控えめにする」

 

とてもシンプルなことなのに、

私も含め多くの人が、

とても難しいと思うことなのではないでしょうか?

 

 

先の「質」の意味に戻してみると、

「性質、素質、資質、本体、根本、本質、素朴」

類似したような言葉が並びます。

 

成長を過ぎた30歳からは

「自分という本体・根本・本質」

にベクトルを向かわせる切り替え時だけれども、

 

現代においては特に、

そのベクトルの方向性を身体のみで定めていくことは難しく、

 

自分の意識・意志をも連動させていかないと

その切り替えが上手くいかない

 

ということがいえると思います。

 

 

『陰と陽は量の変化から質の変化に変わる』

これは身体だけではなく、

 

自分の意識としても、

「自分という本体・根本・本質を見つめる変化の時」

なのだろうと思います。

 

 

自分の着る服は、似合うものを揃えていきたい

自分の身体をできるだけ整え維持していきたい

 

そんな意識と行動の先で脱線したとしてもまた、

「自分という本体・根本・本質」を見つめ直し

 

その度に、ワードローブや自分の食事を見直していけばいいのかなと思えたりします。

 

 

その繰り返し繰り返し何度も見直していく作業を通して、

きっと「生きる」ということの「質」をも上げていけるんじゃないか?

という気がしています。