引き寄せるチグハグした心と身体②

続きです。

sayosalada.hatenablog.com

 

病気を自ら引き寄せてしまうにしても、

病気になりたくないのになってしまったにしても、

 

病気である事実を受け止める必要があります。

 

私は働くことができて、

日常を不自由なく送ることができているし

健康と呼べるかもしれませんが、

 

身体はしょっちゅう故障して、

薬もじゃんじゃん飲んできたし、

最近もまた逆流性食道炎の薬を飲まないといけない感じだし、

手術もしたし、

同じ年代の方と比べると、

随分医療費をかけているなと感じています。

 

この私の現状は、

摂食障害と長期に渡って格闘したことによるダメージが、

ジワジワと現れていることにすぎないので、

自分が無茶したことの後始末として、

きちんと受け止めて、

やれるところまで処理していくしかないんだろうなと思っています。

受け止める1つの行程として、治療があるのだと思っています。

 

 

落胆しても恐ろしいことに、

そこからどうあっても命尽きるまで生きていかなければいけない。

しんどいけど、それが現実なのだから。

 

 

病気になって

衝撃的で決定的かと思えるようなことを知ることになっても、

 

そこから何を得ていくか

そこから何を生み出していくか

 

に焦点を当てなければ

そこで停滞して何も生まれないと思っています。

 

 

けれど、言うほど簡単ではありません。

 

脳梗塞になって九死に一生を得ても、

生活を変えられずに、再発する方はとても多いです。

 

大きなものを失っても、

失ったものではなく、

残ったものに焦点を当てて、

残ったものから未来へ向かえる何かを生み出していくべきなのでしょう。

 

「失ってから大切だったと気が付いた」

としても、

もう失ったものは戻ってきません。

 

だとしたら、

 

失ったものから自分が得たものはなにか?

 

失望したり、先が見えない時だからこそ、

建設的に考えるべきだと思うのです。

 

何を反省したのか

何に感謝したのか

これからはどう在ろうと思ったのか

 

それを考えていくことが、

どうあっても生きていかなければいけないための策だと思っています。

 

後ろ向きな気持ちや、

生きていたくないという気持ちから

病気を引き寄せてしまったとしても、

簡単に死ぬことができる病気ばかりではありません。

今の時代たいていは、生きながらえてしまうでしょう。

 

医療が発展したこの今の時代、この国では、

生きることからそう簡単には離脱できないと感じませんか?

 

病気と共に生きていかなければいけないのなら、

残ったもので改めてスタートを切って

命尽きるまで

生きることと向き合うより他ないのだと感じるのです。