人材不足の救世主と、移りゆくものへの刹那

私が勤める特別養護老人ホームの介護職員さんは慢性的に人材不足です。

そして、

食事を作ってくれる委託給食会社さんの調理員さんも足りていません。

栄養士さん、調理パートさんもここ最近人材確保に難航していると聞きました。

 

人材不足を理由に撤退・縮小していく企業も多くあるようで、

多くの業界で人材不足をどう穴埋めしていくか

思案しているところだと思っています。

 

その人材不足の救世主として期待される1つの策として、

AIロボットの存在があると思うのですが、

想像以上に進化しているようですね。

 

 

人間よりもロボットの方がずっと緻密に確実にスマートに生産性を上げることができそうですし、

効率的で合理的なことも喜ばれるところでしょう。

 

ファミレスにロボットが投入されて

「わあ〜」

なんて言っていたら、

恐らくあっという間にあっちでもこっちでも

進化系ロボットがいるのが当たり前になって

「わあ〜」

とも何とも思わなくなる時が来るんだろうなと感じています。

 

人材不足にしても、

AIロボットが日常に組み込まれるようになることにしても、

少子高齢化の一旦であるな

と強く感じています。

 

では、

1人の生産年齢人口で1.4人の高齢者を支えなければいけないといわれる少子高齢化を目の前にして、

ひょうたん型の人口ピラミッドが示すように、

働ける人が減少する中で、

 

働く人間の価値は上がるのでしょうか?

 

AIロボットの方が生産性が高く、

それなりに申し分ないのなら、

必ずしも人は必要ありませんから、

人間の価値は上がらないですよね。

 

ロボットが持ち得ない

人間の価値となるところ、魅力となるところ

というと、

人間の持つ感情、情緒、情動

の部分になるのではないか?

と思っています。

 

何か事が起こって、

感じ得たことで情緒が動かされ

情緒が動くことで後に思考する燃料となります。

 

抱いた感情・情緒・思いが起爆剤となって、

あれこれと、

今まで考えも思いもしなかったことを抱くキッカケを与えてくれます。

 

自分はこんなことを思った

さあこれからどうする?

どうしたい?

自分はどうしていきたいの?

 

そんなことを思い考えるのは

普通すぎて日常すぎて

もはや特別なことと感じられないかもしれないけれど。

 

自分の抱いた思い感情、情緒を動かされることで思考するエネルギーを得ることができるから、

現実を大きく動かすことができる

未来を大きく変えていくことができる。

 

そんな無限大ような大きな可能性を含めて、

人間の感情・情緒・情動は

人間が持つ価値となり魅力となるのだと思っています。

 

心を動かされるって

嬉しいことでも、嬉しくないことであっても、

目をそらしたいことであっても、時間をかけても、

受け止めなくちゃいけないことだと思うんですよね。

 

モチロン嬉しいことであってほしいんです。

失意のどん底に落ちるような思いは、

勘弁してくれと思うんですけどね。

 

けど実際は全てが繋がっていて、

目の前に起こることは、

原因があって、結果が現れるだけです。

 

現れた結果に対して抱いた感情を受け止めて、

思い考える

それができる人間だから、

進化していけるんだろうなと思うんです。

 

AIロボットが人間の感情を備えるようになる未来がきたら、

それはもう神の領域のような気がしますが、

 

 

失われゆくものに尊さを感じる

手に入れることができないものにこそ価値を感じる

少数になればなるほどそれが貴重になる

 

そういった

移りゆくものへの刹那的対象が、

 

人間の感情・情動・温かみとならなければいいなと

そんな社会にならないでほしいなと思っています。