100年生きられる時代になった 100年生きられる時代になってしまった

生まれて死ぬという人生行程は不変です。

 

命は限りあるものに違いありませんが、

その命の長さには社会的環境が大きく関わるといわれています。

 

小さな不満はあるけど、

わたしは今、

とても恵まれた社会的環境にいるなと感じています。

 

汚染されていない衛生的な水が蛇口から流れます。

医療技術はどんどん進歩発展しています。

新薬もどんどん開発されています。

 

100年生きられる時代になった

100年生きられる時代になってしまった

 

どのように感じるかは人によりますが、

長寿が叶うような恵まれた社会的環境の中で、

わたしは今生きているんだなと感じています。

 

 

私が管理栄養士として勤務している特別養護老人ホーム(定員80名)には

100歳を超えている方、今年100歳になる方、あと数年で100歳を迎える方、

ざっと数えても6名ほどいらっしゃいます。

 

長寿が叶うような時代になったと思う一方で、

 

3人に1人が65歳以上という、

高齢化社会を迎えることになったとも感じています。

 

 

特別養護老人ホームも有料老人ホームも通所リハビリ施設も

あちこちに建てられています。

 

高齢者の需要に応えられるよう

高齢化の波に乗れと、

多くの企業や法人が規模を拡大し参入しているようです。

 

しかし、

日本は少子高齢化です。

 

施設を建てて、お客様となる高齢者が入居したところで

果たして働き手となる人材は確保できるのでしょうか?

 

至る所でマンパワー不足の今、

非常に厳しい状況だと思っています。

 

少子化に加え働き方が多様化して、

パソコン一つで収入を得られる時代ですから、

賢い人ほどマンパワー不足の駒となることなど選ばないのでしょう。

 

そうなるとどうでしょう。

質の良い介護は受けられません。

 

歳をとってボケたら施設に入ればいい

そう思っている人がいたら、考え直したほうが良いかもしれません。

(ボケても快不快の感情は持っていたりします)

 

超高級老人ホームに入居し、

手厚いサービスを受けられるのは本当に限られた人間だけだと思います。

 

実際、多くの高齢者は施設ではなく在宅で生活しています。

 

お金がないから施設に入居できない

という方もいれば、

 

億のマンションに住んでお金はあるけど、

家にいたいと

介護保険を利用して在宅で訪問介護サービスを受けている、

そんな人もいます。

 

様々な理由で、在宅で生活する高齢者は

目にしないだけで実はたくさんいるのです。

 

 

今現在、訪問介護を支えているのは70歳以上の高齢者が多く、

老々介護寸前ともいえるような状況で、

訪問介護は、施設よりもっと深刻な人材不足

訪問介護サービス自体、崩壊し兼ねない状況だと思います。

 

 

施設でも在宅でも、

終の棲家となる場所で、

 

自分や、自分の家族が、当初描いていたような

穏やかな生活は送れないかもしれない

 

そんな現実が、今もう目の前にあると考えていいでしょう。

 

「そんな先のことだから」と

リアルには感じにくい現実の中で、

私も、

そしてきっと多くの人が生きていますが、

 

100年と言わずとも、

後々「こんなはずじゃなかった」と後悔したくないから、

今からちゃんと準備しなくちゃいけないと思っています。

 

準備はとてもシンプルです。

「しっかり休養・適切な栄養・適度な運動」

 

これが最上級であって、

これ以上のものはないんじゃないかなと思っています。

 

でもこれ実際は、

社会的な立場、人間関係などの摩擦から、

休養を取りたくても取れない、

やりたいけどやりたくない、

のように

 

自分で自分の行動をコントロールしすぎてしまう

自分で自分の行動をコントロールすることが難しい

 

そんな場面ばかりで、相当難しいと思います。

 

けれど、

この先を後悔しないで生きるためには、

気持ちをフラットにして

 

自分が主体となって

常に自分をモニタリングして、

自分の心と身体を動かしていくより他になく、

 

恵まれた社会的環境にあっても、

 

自分を守っていけるのは、

自分しかいないと感じています。

 

 

「歳をとる、老いる、衰える」

という現実から、

見えてくる世界ももちろんきっとあるのでしょうが、

 

どうしても、

「歳をとる、老いる、衰える」

という現実は

いろんなものを奪い去っていくように感じてしまいます。

 

高齢化社会で時代は大きく変わっていくでしょう。

 

不安の中に光を見つけていくのも

やっぱり自分しかいません。