「脚ほそっ!」そこまで細くしなくていいってば「プリキュア!」

昨日夕食の支度をしていた私は、夕食を食べる前の準備として、中学3年生の次女に「面白いテレビ番組探して」と言いました。

 

次女が「ママ面白いのあったよ!」と嬉しそうに言ったので、ちょっと手を止めてテレビ画面を見てみると顔の半分が目で、髪が黄色い女の子が映っていました。「これなに?」と聞くと、次女は「プリキュア笑」と嬉しそうに答えました(ローカル局の東京MXで再放送しています。)。

 

私は「あー」とだけ、わざと冷ややかに言って、お味噌汁の盛り付けにかかり、「できたよ」と席について、プリキュアを付けながら夕食を食べ始めました。

 

帰宅してから始まっていた次女の今日1日の報告が終盤に差し掛かった頃、私の夕食も終盤になり、聞くと食べるに集中していた意識が、テレビ画面に移りました。

 

プリキュアも終盤で、もうエンディングの歌が流れていました。

 

「これいつのプリキュア?見たことないね」と私が言うと、次女は「去年のだよ」と言いました。

何で中学3年生にもなって知ってるんだろうと思っていると、

 

「主役はいつもピンクだよね笑」

と続けて言うので

「そうだよね、で、準主役は水色ね」と私は返し、次女は「そーそー笑、で悪役は紫!」と言い「だよねー」なんて私も言いました。

 

次に次女は

「でもこの黄色の子は男の子っていう設定なんだよ!そこは新しいの笑」と言いました。

私は「えー!すごい!プリキュアにも多様性を入れ込んだんだね」と言うと、

 

次女は「ねー!」と言い、テレビ画面を見ながら「でも黄色スゲー脚ほそっ!」と言いました。

 

私もテレビ画面の黄色のプリキュアと、ピンクと水色のプリキュアを見て、

プリキュアが異常に脚細いのはずっと変わんないだね」と言いました。

 

現代の女の子の登竜門的なプリキュアを見たことある人がいるかいないか分かりませんが、

いや~アニメっていってもここまで?というくらいにほんっとに脚が細いんですよ。

特にエンディングの映像はCG風に作っているためか、脚も身体も極端に細く、異次元な頭身で描かれています。

 

子どもたちが見るアニメ制作には、アンパンマンのように夢や希望が込められていると思いますが、プリキュアも例外ではありません。

 

悪を退治するために、困難があっても前向きに世のため人のため正義のために頑張る女の子は、幼少期の女の子が「プリキュアになりたい!」と生まれて初めて憧れるアイドルになることもあります。

 

そしてまた、プリキュアが幼少期のアイドル的存在になっていることの大きな要因の1つに、その「可愛い容姿」があります。

 

顔の半分が目、カラフルな髪色、小さい顔、そして細い身体と細い脚に女の子はみんな憧れるのです。

 

ちなみに、20年前の2004年の初代プリキュアふたりはプリキュア』を振り返ってみても、描かれているプリキュアはまあ今と変わらず細いです。

anime-precure.com

プリキュアの一世代前の「セーラームーン」も細く脚長ですね。細くてもプリキュアよりもメリハリボディなのは高校生という設定だからでしょう(プリキュアはだいたい中学生設定)。

sailormoon-official.com

セーラームーンのアニメ放送は1992年〜ですから、32年前から異次元に細いキャラは女の子が可愛いと憧れる容姿だったと考えられます。

 

プリキュア」や「セーラームーン」といったアニメの細すぎるくらいのキャラクターが、拒食症や摂食障害を助長しているなんてことあり得ないような気もしますが、影響がないこともないような気がしませんか?

 

拒食症や摂食障害に影響する大きな要因の1つに「社会環境」があります。

 

それは、

貧しい国には摂食障害患者が少なく、食糧供給過剰な国には摂食障害患者が多いこと、(要は食べる物が簡単に手に入るか否か)

 

コロナ禍において摂食障害患者が増えたこと、(不安定な社会情勢が影響すると考えられる→私たちの心理状態が不安定になる)

 

これらのことから考えても、私たちを取り巻く社会環境は摂食障害の要因として重要だと思っています。

 

摂食障害歴25年以上の私もそうですが、

拒食症に陥る人のパターンとして、ダイエットがエスカレーターしていった事例が多いと思います。

そもそも、なぜダイエットをするのかといえば、「痩せて可愛くなりたい」「痩せて綺麗になりたい」ためでしょう。

 

しかし、一般的にいわれる綺麗を通り越して痩せていく、ダイエットを止められなくなる場合は、その背景に「自己肯定感がない」「自分に自信がない」という心理が隠れているというのは想像に難くないでしょう。

 

ダメな自分が痩せることで、少しマトモな自分になれる気がします。

痩せることは誰もが憧れるもので「痩せて羨ましい」と思わせるものなので、どんどん痩せることで社会から認められる自分になれると思うのです。

 

自分に自信の欠片もなくても、痩せさえすればその欠片だけでも手に入れたような気がします。

手にしているものは社会が認める欠片なので、それを握りしめている限りは、心は常にまだまだ痩せたいと、こんなんじゃダメだと不安定ながらも、何とか自己肯定感を維持できるのです。

 

できるかできないか、

なるかならないかは別として、

 

痩せていることに憧れない社会、

痩せることに特別な価値がない社会、

痩せていても太っていても魅力的な人は魅力的だと個人を尊重できるような社会になれば、

必要以上に痩せることに必死になる意味もありません。

 

他の依存症になる可能性は否めませんし、生きる意味を見いだせずに拒食症になるもっと根の深い摂食障害さんもいるのですが、

 

必要以上に痩せることにメリットがなければ、拒食症になる人はぐっと減るはずです。

摂食障害さんにとって、社会的な影響はものすごく大きいのです。

 

去年の「黄色のプリキュアが男の子」という設定は今の時代の流れを汲んでいるのに、痩せているキャラ設定はずっとずっと変わりません。

 

世の中の「痩せ賛美」「痩せ信仰」がいつまでも足踏みしているということです。

 

嫌な言い方をすれば、

幼少期から痩せ賛美・痩せ信仰に洗脳されるかのように落とし入れられている、

大袈裟に言えば、可愛い〜こうなりたいなという子どもたちの夢や希望に悪意なく入り込む、そんな恐ろしさがあります。

 

今の子どもたちは早熟です。

プリキュアのような異次元のスタイルに憧れを抱いても、小学校に上る前には2次元の世界と3次元の世界をしっかりと区別できるようになるでしょう。

 

しかし、3次元でもSNSやテレビを見ればそこにはやっぱり異次元のようなスタイルを持つ人間がいると知ります。

加工していると分かっても、目に飛び込んでくるスタイルを凝視して「こうなりたいな」と思うでしょう。

 

子どもたちは社会の空気をどの世代よりも純粋に感じとり、それを生きる上で様々な自分の基準としていきます。

 

プリキュア批判ではありません。

プリキュアだけに限らず、アニメ「アイカツ」シリーズもどのキャラもめちゃくちゃ細いですし。

プリキュアにしてもアイカツにしても、世の中の「可愛い」の動向でキャラ設定をしているはずです。

 

世の中が痩せ賛美・痩せ信仰であるために、

子どもたちの世界も「可愛い存在は常にずっと異常なまでに痩せているキャラ」だということです。

そして、それは幼少期から悪意なく子どもたちに刷り込まれているということでしょう。

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。