拒食症の方の社会復帰を考える

一切の食べ物を食べない(食べられない)

もしくは

特定の食べ物しか食べない(食べられない)

それが拒食症です。

 

入院レベルで血色の悪い飢餓状態の拒食症の方でない限り、その痩せ細った痛々しい身体でも堂々と社会に入り込んでいることが多いかもしれません。

 

見るのが申し訳ないくらいか、逆に2度見3度見してしまうような細い女性を、学校や外出先で見たことがある人は案外いるのではないでしょうか?

 

そんな他人からは明らかに病的で病院に行った方がいいですよと言いたくなるくらい危なっかしく見える人が、

普通に学校に通って、普通に会社に行けるのは、

 

「自分が極端に痩せすぎている」「自分は何だかおかしい」という認識がないためか、

「群を抜いて痩せている自分」を誇らしげに感じているためで、

 

「病的意識が欠如している」そして「ボディーイメージが歪んでいる」ために、

「命を失う危険がある」という意味では、

拒食症は過食症より深刻です。

 

私は高校時代拒食症となり、その後長く過食症となり、40代にしてようやく摂食障害を克服できました。

 

そんな拒食症の経験から、

「拒食症の方が社会に地に足着けて生きていくため」「拒食症の方が社会復帰するため」

必要だと思うことを考えてみました。

あくまでも、私の経験から考えた3項目になります。

 

「自分は拒食症という病気だ」と認識し、その現実に目を背けず向き合っていく

信頼できる人に支えてもらう、諭してもらう

過食症に転じてしまう

 

では、1つずつ説明していきます。

 

「自分は拒食症という病気だ」と認識し、その現実に目を背けず向き合っていく

 

先述したように、

拒食症の方は「自分は極端に痩せている」「自分はおかしいようだ」という認識が欠如していることが多いので、自分が病気だなんて思いませんし、

 

適切な保護下に置かれていない人は拒食症として入院するタイミングを通り越して、

拒食症による低栄養を原因とした疾患や感染症などでようやく入院できたというケースもあると思います。

 

私の周囲には拒食症で命を失った方はいませんが、

カーペンターズのカレンさんは拒食症で亡くなった方として有名ですし、

以前ブログでも書きましたが、大食いタレントの高橋ちなりさんも、本当のところも詳細もわかりませんが、ネットニュースによると拒食症でお亡くなりになったとされています。

sayosalada.hatenablog.com

お二人とも、自分は拒食症だという認識を持ち合わせていたかもしれませんが、

なぜ、お亡くなりになってしまったのか。

 

入院までいけば点滴治療され、命は救われるように感じますが、

恐らく多くの病気と同様に、

治療により血液検査などの異常を示す数値が改善すれば、病院での処置はなくなったということで退院できます。

拒食症の場合、この医療的処置がひとまず済んだ退院後が、問題になるんじゃないかと思っています。

 

拒食症で入院して治療したのは消耗した身体への栄養補給が主体です。

精神科ならば、薬物治療なども併用していくでしょうが、(拒食症だけの問題にもとどまらず、パーソナリティ的疾患を抱えていることもあります)

 

結局、食べない、もしくは特定の食べ物しか口にしない「拒食症の原因」を分かっていないため、たいてい退院後には拒食生活が再開されます。

 

点滴治療で太ってしまった醜い身体(実際は太っても醜くなってもいません。本人は強くそう感じるだけです)を一刻でも早く何とかしないといけないと、拒食する意識はより高まることでしょう。

そうなると、本人と病院のいたちごっこで、入退院を繰り返す拒食症患者さんは多いのではないでしょうか?

 

「自分は拒食症という病気だ」という認識を持てるか持てないかは、第1前提として重要なことですが、

 

「自分は拒食症という病気だ」という現実に目を背けず向き合っていくことは、生きるか死ぬかという明暗を分けるほど、より重要なことになります。

それには、「拒食症の原因」を知ることが必要になってきます。(②で説明します)

 

信頼できる人に支えてもらう、諭してもらう

 

「自分は拒食症という病気だ」という認識を持つことができたら、その現実に目を背けず向き合っていく努力をしなければいけません。

 

この努力は自分が「拒食症になった原因」と向き合っていくことになるので、「道は険しく長期戦」となります。

その険しい道を行くために、「支えてくれる人」と「道しるべとなる人」が必要となります。

 

拒食症になると痩せることが自分の全てなので、痩せることを妨げるものは一切自分から排除して、自分が痩せることに全力投球できる世界を作り上げようとします。

 

私は高校時代拒食症でしたが、

子どもが痩せたことに気が付かない親に、

友人や彼氏がいないことが幸いし、食事に誘われる、学校でお菓子を食べるといったダイエットを妨げられる煩わしさがなく、

自分を取り巻く世界は、痩せることを邪魔するものがいない「完璧でそして孤独な世界」でした。

 

「孤独だったから拒食症になった」のか、

「拒食症になったから孤独が加速した」のか、

恐らくどちらもだと思いますが、

 

拒食症は

痩せるために「不必要だと思う食べ物を拒絶」し、

痩せるために「不必要だと思う周囲の人間までも拒絶しようとする」

孤独な世界に在りますが、

 

本当のところ「拒絶するのは自分の身体に付いた贅肉」ではなく、

 

「環境に溶け込めず人間関係に苦痛を感じている自分自身」で、

「自分を劣等感に至らしめる人間関係から離脱できない自分自身」で、

「社会での自分の在り方や生き方に迷い、八方塞がりに陥り苦悩している自分自身」です。

 

これが、①で述べた「拒食症の原因」の最も本質的な部分です。

 

自分自身を拒絶する究極は「自分を亡くすこと」です。

いや、そこまでいかないよね?と極端に感じるかもしれませんが、

拒食症の方の心理は大なり小なりそんな感じです。

 

拒食症の方は自分自身や周囲への拒絶があるので、心療内科やカウンセリングなど、医療機関に支えられることは適切な策だと思っています。

 

医療従事者との関わりを通して社会との接点を広げることになり(居場所ができる)、

医療機関と繋がっていれば、命を失うリスクは多少なりとも低下するという意味でもメリットがあるように思います。

 

しかし、

私が出会ってきた過食症さんで、医療機関へ受診している人は1人もいませんでした。過食症になって医療機関にお世話になったのは、私だけでした。

それだけ、医療機関への受診はハードルが高いのか、信用していないのか、金銭的問題もあるのだと思います。

 

医療は信じられない、お世話になってみたけど行きたくない、金銭的に余裕がないという人は、

拒食症の自分を受け止め、諭してくれる信頼できる人と出会えるよう「行動してみる」ことを勧めます。

 

摂食障害自助グループなども、先をゆく仲間に出会うことができ、支えになるかもしれません。私も自助グループに参加して、ひたむきに生きる女性と出会い刺激を受けました。

 

拒食症の方は「より孤独な環境へと陥らないよう」に気を付けて欲しいです。

 

過食症に転じてしまう

 

拒食症から抜け出し、社会で生きていくためには、過食症という次のステップに進むことが1番手っ取り早いかもしれません。

 

「痩せたいのに食べてしまう制御が効かない行動」が、「どうやら自分はおかしいようだ」と気付きを与えてくれます。

 

一切の食べ物を食べない(食べられない)、

もしくは、

特定の食べ物しか食べない(食べられない)

それが拒食症ですが、

 

そんな拒食期を経ると、

 

渇望した身体が自らの栄養を求めて「V字回復」を図ろうと食欲をマックスにさせるので、

多くの場合、大量に食べる「過食症」に転じます。

 

これは身体の自然なメカニズムで、いわゆる「リバウンド」と言われる現象ですが、

風邪を引いて数日食べられなかった、朝食を抜いた時にも少なからず引き起こされている現象だと言われています。

 

そのため、「身体の自然なメカニズム」として、多くの場合、拒食症は大量に食べる過食症に転じます。「そうならない方がおかしい」くらいです。

 

過食症は自分の意思とは裏腹に、「食べたくないのに食べて太ってしまう」「食べては嘔吐する罪悪感」から鬱状態に陥り、死にたくなるような絶望感を抱き、

 

現実的なところでは金銭面への不安が襲い、

自分が崩壊していくような苦しみから、

「自分自身と向き合わざるを得ない」ように動かされ、「摂食障害克服へ歩み出す」ことができます。

 

ここで、①へつながり、現実に目を背けず向き合っていくようになり、

信頼できる人の支えを必要として、②へとつながるようになるでしょう。

 

この拒食症から過食症への移行は、「摂食障害を克服するための必要なステップ」です。

 

「これまでは拒絶して口にしていなかった食べ物」を、後に嘔吐して吐き出すにしても、

「一度自分自身に取り入れるようになった」ことを考えれば、

いかに大きなステップかが分かると思います。

 

拒食症という痩せることに矛盾なく生きていられる時期は、学校や職場など社会とつながっていられたとしても、その社会は「痩せることのみで構成された狭い空間」です。

 

自分自身も周囲も拒絶しているので、当然視野は狭くなり、足場はつま先立ちをするように狭いので、少しのバランスで離脱してしまいます。

 

しかし、

離脱しても全く持って問題なく、むしろこれが「足場を広げるチャンス」になります。

 

拒食症の方が、社会に地に足着けて生きていくため、社会復帰するためには「自分の社会的環境を広げていくこと」が必要だと思っています。

 

拒食症という自分自身を受け入れ、信頼できる人を受け入れ、

「痩せることへの執着」を少しずつ少しずつ解きほぐすことができれば、自分の視野が広がります。

 

痩せることのみで構成された狭い空間で生きていることが、なんて窮屈なんだと、なんて勿体ないんだと実感できれば、

生きるフィールドを広げ、「自由な社会空間を必ず手に入れることができます」。

 

ただし、「長期戦となる覚悟」はしておいてください。

 

以上、

あくまでも私の経験から考えた

「拒食症の方が社会に地に足着けて生きていくため」「拒食症の方が社会復帰するため」

必要だと思うことになります。

 

拒食症は過食症よりもより繊細で、

社会を足場とすることや社会復帰という点でも過食症よりも複雑なので、

伝えにくく難しくて分かりやすく書けなかったな、という自分なりの感想ですが、

 

多様性ということから、障害を持つ方の社会参加へのフォローが進んでいる中で、

まだまだこれから試行錯誤される摂食障害の方の社会参加や社会復帰を考え、参考になればと書いてみました。

 

摂食障害の方の社会参加が進む社会になるといいなと心から思っています。

 

前回のブログには過食症の方の社会復帰を書いています。

sayosalada.hatenablog.com

今回も読んで頂きありがとうございました。