なぜこんなにも世界的に摂食障害を患う人がいるのでしょう?〜飽食の時代と痩せ賛美と精神的貧困〜

過食症に苦しんでいた時、

「こんなに細い人たちがいっぱいいる日本にいるから、私はいつまでも痩せることにこだわってしまうんだ!ビッグサイズの米国に行けば、私は痩せる必要がなくなって、過食も治るかもしれない!」

と思った時期がありました。

 

米国はご存知の通り肥満大国です。

米国の成人の42.4%が肥満(BMI30以上)といわれているそうです。

多くの人が、糖質や脂質たっぷりの食事を食べたいだけ食べて、運動をしていない現状だと察します。

 

一方で、

そんな国民の約半分が肥満という米国にも、摂食障害患者は多いのです。

 

正確なデータが探せなかったので患者数を示しにくいのですが、

米国の摂食障害者数(拒食症と過食症)は125万人ともいわれており、世界トップかトップクラスだそうです。

 

この患者数には恐らく摂食障害予備軍の数は含まれていないので、

それらの数を含めると、3,000万人になるともいわれているようです。

 

これに対し日本でも摂食障害患者数は年間21万人といわれています。日本も摂食障害予備軍を含めると相当な数になると思います。

 

また、米国以外でも中国、ブラジル、メキシコなど世界的に摂食障害患者は存在します。

 

摂食障害の拒食・過食という問題は日本に限ったことではなく、飽食の時代の恩恵を受ける国であれば浮上してくる問題だと思っています。

 

食べ物から命を頂く、食べ物を尊く思うような古代人とは違い、現代人にはそんな感覚持ち合わせていません。

 

コンビニに駅ビルにと常に食べ物に溢れていて、命を頂くことは簡単に叶うので、食べられない危機もありません。

また、食べ物は楽しみで、食べることが趣味にもなって、食べることがストレス解消にもなります。

 

食べ物が豊富に手に入る国であれば太ることは簡単で、「手に入れることが難しい痩せている体型への賛美が増す」という現象は大いにあると思います。

 

そして、それを刺激するような「痩せ賛美」の社会的風潮があり、

近年ではSNSでそれが広く世界へ拡散されるようなところも「痩せ賛美」「痩せ信仰」が止まない要因の1つだと思っています。

 

痩せるサプリや痩せるドリンクなど、明らかに怪しい商売が後を絶たないのにも、そんな社会的風潮がずっと継続しているからですよね。

 

私は昔の人間なので勝手なイメージかもしれませんが、米国は日本よりも「個」を重んじる国と感じています。

 

自己主張はしっかりする、自分の意見は伝える、YesNoの文化は曖昧表現の多い日本との違いを感じさせ、

 

「個がある」「個でいい」「私は私でいい」そんな国だと認識しています。

 

しかし、そんな米国国民でも、「私は私でいい」「私は私の体型でいい」と思えず、

自分を否定するような行動(食事の拒否、過食嘔吐、自暴自棄になってむちゃ食いをする)をする人が、恐らくそれなりに一定数存在するという事実は、少し意外な気がしています。

 

では、「なぜこんなにも世界的に摂食障害を患う人がいるのでしょう?」

 

私はこの回答について、米国も日本も同じ、どの世界でも共通だと思っています。

 

「飽食の時代」と「痩せ賛美」「痩せ信仰」の社会的風潮の要因は非常に大きいですが、

この回答を助長する要因でしかないと思っています。

 

摂食障害は大人になるための過程」です。

摂食障害は「人として成長する必要があるため」に陥ります。

 

自分という人間を知り、一皮剥けて自立し、強く生きていくためのハードルです。

 

摂食障害に陥る時は「人生の迷子」になっている時です。

 

幼児ならその場で泣いてじっとしていれば、大人が助けてくれて、こっちだよって自分の行き先へ手をつないで一緒に歩いてくれますが、

 

摂食障害として迷子になっている場合は、助けがきたとしても、こっちだよって行き先は示してくれるだけです。

寂しいよ〜と言って手をつないで一緒に歩いてもらったら2人で迷子になってしまうので、

どこかのタイミングで手を放し、1人で歩いていかなければいけません。

 

「迷子になった本人が自力で歩き、そこから脱出する」しかないんです。

 

自分に自信がない、自分は認めてもらえない

世界中の誰もがそんな気持ちを抱くときがあります。

 

以前ブログで頂き女子りりちゃんについて書きましたが、彼女はホストにハマらなかったら、摂食障害に陥って自分を傷付け破滅した可能性も十分にあると思っています。

 

何かに陥る、その対象となる何かが違うだけで、

そこから這い上がり成長を促される末路は同じなんだろうと思っています。

 

食べ物や物質的なものが豊富であれば、どうしても精神は貧困化すると思っています。

物質的なモノと精神は対で、振り子のようにバランスをとっています。

私たちがどんどん考えることをしなくなり、創造力がなくなっていくのは仕方ないことなのかもしれません。

 

貧困化した精神は苦痛や困難を通して人間的成長を促します。

そして、そんな人間的成長を促されているのは、世界共通ということなのでしょう。

 

冒頭の、米国に行ったら私は痩せる必要がなくなって過食が治るかといったら、そんなことないですね。

自分1人で米国で生活するための精神的成長を遂げたら、過食なんて要らなくなるでしょうが、環境だけを変えても、自分が変わらなければ意味がありません。

 

摂食障害患者数は「メンタルケアが困難な人の数」ということです。

 

摂食障害は飽食の時代の産物で、

さらに、「痩せ賛美」という社会的風潮がそれを加速させて患者数は増加しているわけですが、

これらの要因とともに、

 

摂食障害は「物質的な豊かさの裏側に生じた弊害」だと思っています。

 

自分を見失い迷い込んだ迷路で、泣きながらずっと座り込み、時にひたすらぐるぐる彷徨っている人たちが、

自分の行き先までしっかり自分の足で歩いていけますようにと思うばかりです。

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。