「子どもに太る食事を与えることは、もしかすると虐待に値することではないか」と考えています。

親が子どもに食事を与えないことは虐待の典型的なパターンですが、

 

肉大好き一家とか、大食い家族とかのタイトルで、子どもにモリモリ焼き肉や食事を食べさせているテレビを数年前に見て、

モリモリ焼き肉を食べている子どもが、肥満体型だと目にした時に私は、

「子どもに太る食事を与えることも、虐待に値するようなものだ」と感じました。

 

このことについて、

摂食障害経験者なので、やや偏った価値観と、管理栄養士の知識で発言させて頂きたいと思います。

偏りがあるので不快に思われる方もいるかもしれません。すみません。ご了承下さい。

 

多くの子どもは親や親族のもとで、食卓に出された食事を(食物アレルギーや嫌いで食べられない他は)無条件に受け入れ、食べます。

食べることは生きるために必要だからです。

 

食卓には親の食事に対する興味関心、食事の嗜好はもちろん、食事への価値観がそのまま映し出されるし、

忙しい家庭では、お店で買ってきたものを家で食べる頻度が多くなるなど、食卓には家庭環境をも反映されるので、

子どもは親の「食」と食卓を囲む「環境」全てを、無条件に受け入れることになるとも言えるでしょう。

 

私自身はその時代にはまだ珍しい共働き夫婦のもとに育ったので、おばあちゃん子でした。

料理や家事を引き受けている祖母の食事は華やかさのない和食ベースの食事で、

母は「おばあちゃんは料理上手でレパートリーも豊富だった」と言っていたけど、それは大昔のことか、単に私が子どもだったから嗜好が合わなかったのか分からないけれど、

遠足に持っていくお弁当は毎回「茶色」という印象がする「地味弁」で、他の子の華やかな色のあるお弁当が羨ましかったことだけはよく覚えています。

 

私が丸々と太りだしたのは小学校中学年の頃でした。

 

近所に新しいスーパーができて、その中に焼き立てパン屋さんが入っていて、

祖母は毎日のようにそのパン屋さんで、パンやパンの耳を油で揚げてグラニュー糖をまぶしたラスクを買ってくるようになりました。私が喜んで食べるからです。

 

「ハイカラなもの」と言うんですかね、

母の介入はほぼなく、祖母に育てられた私には、食べ物でも食べ物以外でも新しいハイカラなものが入手困難だったので憧れていました。

パンも、パンの耳を油で揚げてグラニュー糖をまぶしたラスクも、私にとっては「ハイカラなもの」でした。

 

お友達の家に行って、渦巻きのアイスを食べさせてもらった衝撃を今でも覚えています。

年齢的にさっぱり味を好む祖母が買ってくる夏のアイスといえばカップのかき氷で、それ以外のアイスが家に置いてあることはなかったので、その衝撃といったら「世の中にこんなに美味しいものがあったのか!」と幼稚園児でも思うほどでした。

焼き立てパン屋さんは、私に「世の中にこんなに美味しいものがあったのか!」と再度思わせました。

 

ひと夏で丸々と太りました。

夏休み明けに学校に登校すると、男子から「すっげー太ったな!」と言われたことを覚えています。

 

そこから私は痩せることなく太り続けました。

小学校高学年にもなれば、駄菓子屋さんで食べたい物を自由に買うようになり、近所にコンビニができて、おやつの他に美味しそうなおにぎりやサンドイッチも買うようになりました。

焼き立てパン屋さんの登場から、たくさん食べることが私の日常になりました。

 

いよいよ、なんか自分は太っているようだと理解したのは、中学校の制服を採寸してもらっていた時で、

「幼児体型だから、ゴムのウエストはやめたほうがいいわよ」と中年の店員さんに言われ、何故かすごくショックを受けて現実に気が付きました。

 

一緒にいた母に自分が何を言ったのかは覚えていませんが、

「お母さんはあなたの体型ふっくらしていいと思うんだけど。お母さんは胸がない自分が嫌だったから」と言われたのを覚えていて、

 

私は「何言ってるの?店員のおばさんにはデブっていわれてるじゃん!」と思ったことも覚えています。

子どもの健康を測るローレル指数がありますが、当時の私の指数は146で「太っている」の域でした。

 

食事に無関心すぎると、取り返しがつかないまではいかないけど、それなりの代償がついてきます。

 

私が子供の頃よりも、今はずっと健康意識が高まり、研究も進み、幼い頃の食生活が生活習慣病の発症に大きく影響することもわかってきています。

 

小学校の家庭科で5大栄養素を習いますが、

当時は思わなかったけど、バランスよい献立を作る、バランスの良い食事を食べることを小学校で習う意味が理解できます。

「短期的にではなく生涯にわたり生活していくために必要であるため」です。

 

算数の足し算・掛け算・割り算、国語の漢字の読み書きや文章理解とともに、5大栄養素の理解と活用は死ぬまでずっと必要なものなのです。

 

その理解が最も重要視される時が、子育て期間でしょう。

子どもは大きくなるまでは自分で食事を作ることも買いに行くこともできず、親が与える食事を受け入れて成長するしかないためです。

 

私は祖母が与えてくれるパンが美味しくてたくさん食べてローレル指数「太っている」の域になりました。

太るということは、消費エネルギーより摂取エネルギーが上回る食べ過ぎが原因で、この場合は明らかに炭水化物の摂りすぎが原因です。

子どもが標準値を脱して「食べ過ぎて太った」ことに関して、「痩せている」と同じように、本来親は無関心であってはいけないと思うのです。

 

もちろん、個人の体質も関係するでしょう。太りやすい体質、太りにくい体質というのは遺伝子レベルで存在します。

特別養護老人ホームにご入居されている方で、ほぼ同年齢、同じ身長で、ほぼ同じ食事をして、ほぼ同じ活動量でも、体重推移が大きく異なる場合があります。

 

しかし、体重コントロールに環境要因は大きく寄与することは間違いなくて、「水を飲んでも太る(体脂肪が付く)」ようなことは決してないし、

標準値を超えるような体重である場合、「体質のせい」にするのではなく、個人に適した食生活と活動量を見直すべきだと思っています。

 

また、成長期だから太ったと言われるにしても、「身体が作られる成長期だからこそ、適切な栄養摂取が求められる」わけで、

子どもの健康の目安となるローレル指数で標準を超える場合、成長期を理由にはできないと思っています。

 

私の母と祖母が、もっと健康意識が高かったら、私は太ることもなくて摂食障害になることもなかったかも

なんてことは、遠い昔すぎて考えることもありませんが、無関心過ぎていたなとは、未だに感じますね。

 

我が家は父が長く海外に単身赴任、気丈な祖母が絶対的な地位にあり、嫁が家にいられず外に逃げる家庭で育ったので、

そんな家庭のギクシャクって、子どもがモロに喰らうんだろうなとは感じています。

 

冒頭に挙げた、焼き肉をモリモリ食べる肥満体型の子どもをテレビで見たのは、数年前なのですが、親が満面の笑顔で肉を焼いては子どもに与えて、親が尋常ではないほどの大量の肉を購入するシーンもありました。

 

親は罪悪感の1ミリもないように見えたし、テレビを見ている人も、その光景を見て「凄いな」とは思っても「ヤバいな」なんて1ミリも思わないだろうけど、

私は「ヤバいな」と思って「これは虐待だよ」と感じてしまいました。

 

だって、その子達はそのままいけば(テレビで取り上げられれば、周囲に認知されその環境は続くと考えられます)、大量の肉を食べることが普通になって、

活動量が増えずにいけば、お腹が出ている肥満のままで、若いとはいえど血液はドロドロ、動脈硬化が進み若年期から生活習慣病になってしまうでしょう。

 

餓死させるわけでもなく、痩せ細っていくわけでもないけど、

問題意識なく笑顔で、子どもが喜ぶことを与えたとしても、大袈裟に言うなら毒を盛るようなもの。

無知ゆえに健康を害する環境を与えてるって、これって、かなり問題だと私は思っています。

 

摂食障害を持ちながら子育てして、離婚するまでギクシャクした家庭で子どもたちを育ててきたので、

自分を棚に上げているようなことを書いているかもしれませんが、

 

太っていることに風当たりが強い社会で、その事がまだよく分かっていない年齢で、無条件に太る環境が与えられてしまうとしたら、

摂食障害経験者として少し切ないなと感じるものがあります。

 

摂食障害になるような場合には複数の要因が重なり合っているので、

太っているからといって摂食障害になるわけではないし、太っていなくても摂食障害になるのですが、

子どもが太るような食事を摂っていることに無関心な家庭においては、大きな要因になるのかもしれないなと感じたりもします。

(子どもが痩せていくような食事を摂っていることに無関心な家庭も、もちろん大きな要因になると思います。)

 

「こうだ」とは言い切れない難しい問題かもしれませんが、身勝手を承知で自分の考えとして書かせて頂きました。

 

今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。