過食嘔吐する人は根性なしなのか?

過食嘔吐に苦しんでいた時に「過食嘔吐を止められない自分は、根性なしなんじゃないか」と考えていた時がありました。

 

お腹が張り裂けるほどパンパンになるまで食べ、

右手を喉に突っ込み、左手で胃を圧迫しながら、涙と鼻水を流し、何度も何度もおえつしながら嘔吐するその姿は、

絶対に絶対に誰にも見られちゃいけない、汚く醜い自分であることに間違いなくて、

 

トイレから出ると母親に「またやってたの?」と言われた時も、

臨月だというのに過食嘔吐がやめられなくて、大きくなった子宮で押し上げられていた胃を、変わらず嘔吐しやすいように左手で圧迫していた時も、

 

自分は異常なことをしている

太りたくないなら食べなきゃいいし、

食べて嘔吐するくらいなら食べなきゃいいのに、

「根性がないから自分で自分をコントロールできなくて、異常な行動をとってしまうんだ」と思うこともありました。

 

私は今やっと、過食も嘔吐もせずに食べることが普通になったので、冷静に捉えられるのですが、

お腹が張り裂けるほどパンパンになるまで過食することは「心が欲する強い欲求」であり、

それを自発的に嘔吐することは「強い恐怖心」であり、

「やるな!耐えろ!」と一概に根性論で片付けられるものではないと、私は考えています。

 

お腹が張り裂けるほどパンパンになるまで食べる、爆食いしてリバウンドするような時は、良く知られたことですが、

「食べることの絶対的な禁忌」から生じる「食べたいという強い欲求」に原因があります。

 

子育て熱心なお母さんが、

我が子には身体に良いものを食べさせたいと、その辺のスーパーやコンビニで売っているジャンキーなお菓子を一切買い与えずに育てたら、

ある日ママ友から、我が子が遊びに来るたびに家で出すおやつを爆食いして、催促までされるのよと苦笑いしながら打ち明けられたとか

 

「食べることの絶対的な禁忌」が「食べたいという強い欲求」を生み出す事例です。

 

子育て熱心なお母さんなので、我が子の食生活は完璧なはず。お菓子だけじゃなくて、料理も栄養バランスを考えて毎日ちゃんと手作りしていました。

 

我が子は過不足ない栄養状態であるのに、何故おやつを爆食いしてしまったのかといえば、

皆が食べているお菓子を「食べたい」という気持ち以外に他ありません。

 

今まで抑えられていた

「皆が食べているお菓子を食べたい」という気持ちが大きな衝動となって自分を突き動かし、

お母さんがいない時になら許されると「皆が食べているお菓子を食べる」という実際の行動に向かわせるのでしょう。

 

環境を選べない子どもと、環境を動かすことができる年齢とでは、全く一緒には考えられないのですが、

 

過食症も同じように、

自分に課した「食べることの絶対的な禁忌」に無理が生じ「食べたい」という気持ちが大きな衝動(原因)となって自分が突き動かされ、

自分に課した「食べることの絶対的な禁忌」を自分で破り「食べる」という実際の行動に向かい、

それが強い欲求であるために歯止めが効かず、際限なくお腹がパンパンになるまで過食してしまうのです。

 

そんなことを考えていくと、

食べたいという強い欲求が抑えられないことは、

すでに自分の持てる根性を超えてしまって処理できなくなったか、

自分の今持てる根性では太刀打ちできない事柄であるとか、

 

根性なしと一括りにはできない気もするのですが、

この考え方は、私の説明力のなさで伝わりにくいかな?強引に感じますか?

 

私としては、

食べることへの強い欲求がある時は、根性で何とかコントロールするべき時でもなく、根性で何とか出来るときでもなく、

「根性ある自分に挑むタイミングではない」ということだと思っています。

「今は、葛藤して考えろ」という時だと思っています。

 

「こうしたい」「こうしなきゃ」という気持ちと、

実際の行動が一致してくれたら1番嬉しいけど、

気持ちと行動が一致しなくて、現状が動かせない時も多いですよね。

 

自分の気持ちに教えられたり、自分の行動に教えられたり、

一致しない時の葛藤にこそ、先をゆくための大きなヒントが隠れていると、私は考えるようにしています。

 

また、過食と同様に「吐かないと気がすまない」自発的な嘔吐ですが、

嘔吐してしまうことは、「太ってしまう」という「強い恐怖心」から生じる行動なので、強い欲求からくる過食とは、動機が異なります。

 

「太ってしまう」という強い恐怖心は、昔自助グループに通っていた時に出会った女性が、過食後に嘔吐できずに「胃洗浄してー!」と救急車を呼んだエピソードが象徴するように、

sayosalada.hatenablog.com

「吐けない=太る→生きていられない」

この構図しか頭に描けなくなるので、

 

一刻でも早く、口から無理矢理にでも手を突っ込んで、食べた物を全部掻き出してやりたい気持ちになり、それが絶対に叶わないことに絶望し、理性がぶっ飛ぶこともあります。

 

実際は1日食べ過ぎただけで体脂肪が付くことは稀だし(たいていは食べ過ぎの積み重ねで太ります。1㎏の体脂肪が付くには7200kcal必要だといわれています)、

体脂肪として身体につく前に、一旦肝臓でグリコーゲンとして貯蔵されるので、すぐに体脂肪が付いて「太る」ことはありません。

 

太るのを怖がるな!迷惑だ!根性なし!

と突っ込みが入るかもしれませんが、

 

太ることが怖いと思っているから怖いんだと、恐怖心に挑むような肝試しとは異なり、

これも過食と同様に、

 

太る恐怖心が湧くような段階では

「過食したものを嘔吐しない根性ある自分に挑むタイミングではない」

ということだと思っています。

 

何にでも、事を進めていくにはタイミングがあります。

太る恐怖心が小さくなるまでは、嘔吐してしまう自分を受け入れ、

「自分のこの行動にはどんな意味があるのか」

掘り下げて考える時期にすべきだと思っています。今はそういうタイミングだということです。

 

今だから分かるのですが、

根性なしであるとすれば、過食が抑えられないことではなく、他の部分にあるかなという気はします。

 

私の場合は、生きていかなければいけない社会という場所が怖くて、痩せている身体ならバカにされない、痩せていることに没頭すれば社会という繋がりを考えずに済むと拒食症になったので、

 

根性なしを指摘するのなら「逃げている自分の生き方にあった」と思っています。

 

逃げてきた私の根性なしの生き方は、根性なしだからこそ選び出せた、社会に対峙する最大限の防御策なのですが、

 

根性なしがバレないように虚勢を張るような生き方は、長く続くことなく、やっぱりボロが出るというか、

本物の根性身に着けて生きろ言われるように、「過食嘔吐に長くけしかけられていた」ようにも、感じてしまいます。

 

 

相変わらずまとまりのないブログになってしまいました。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。