①いつか必ず過食症から解放されると信じ悲観的にならない。
ずっと同じ状態が続くなんてこの世には有り得ません。
慰めにならないかもしれませんが、おばあちゃんになってまで過食症だという人はいません。
②人によりますが、長期戦の覚悟はしておく。
過食症は依存症のひとつなので、1度陥ってしまうと抜け出すことが難しいことは認識しておきます(浅く浸かりならあっさりと抜け出せる人もいます)。
③過食嘔吐に振り回されない。
過食嘔吐することは事の本質ではないので、そこに問題意識を向けていても何も解決しません。自己コントロールできない自分に自暴自棄になったり自信喪失しないこと。
④過食嘔吐する自分を責めないようにする。
誰がなんと言おうと、過食も嘔吐も今の自分に必要だからしていることだと信じます。
⑤1度に大量に食べること、それを嘔吐することは、自分の身体を虐めることだと認識しておく。
過食嘔吐は自分にとって必要なことだとしても、身体にとっては大きな負担となる迷惑行為だということは忘れずに。
⑥嘔吐したあとのトイレ掃除はきちんと行う。
やったことの自己責任として、汚したトイレは自分でしっかり掃除します。
⑦痩せること以外の目標を持ち努力する。
大きな人生目標ではなく、小さな目標・中くらいの目標でいいので達成するための努力をして、自分を信頼する力を育てます。
⑧リアル社会とのつながりを断たない。
社会で関わる人や経験を通して学び成長します。これ以上は無理だと感じたら避難しつつ、リアルでの接点をできる限り保つようにします。
⑨過食症は自分で克服するしかない。
カウンセラーやパートナーなど自分の支えではありますが、過食症を治してくれる人ではありません。自分なりに社会で強く生きていくことで過食症の克服が叶います。
羅列するとよくよく分かることですが、「自分に対して自信を持つ」ことができれば、過食症も拒食症ともさよならできます。
そう言われたって、こんな自分に自信なんて持てない
という人が摂食障害さんには多いと思いますが、
そうなんですよね。自信なんて勝手に湧いて出てくるものではありません。
私は摂食障害当時、周囲の目や人が怖かったから、誰もが羨むであろう痩せている身体で武装して社会に出ていました。
社会という場所に出ていきたくなかったので、摂食障害じゃなくて精神疾患で診断書をもらって引きこもれたら良いのにと思っていた時もあります。
怖い時は社会から避難することが絶対的に必要だと思っていますが、
「避難した後は社会に戻らないといけない」とも思っています。
自分に自信をつけるためには、
「社会で様々な人と出会い、様々な経験が必要になる」ためです。
「幼少期に親から愛されなかった傷を癒やしてくれるのが、社会で出会う人」です。
「学生時代にクラスメイトから受けた虐めの傷を癒やしてくれるのが、社会で出会う人」です。
社会・人と人という同じ土俵に、
「不幸があって幸福があり、幸福があって不幸があります。」
不幸や苦痛だけ与えられているように感じているのなら、
幸福を感じられる種となる「自信や信頼・愛や感謝」といったものを「自ら掴み取りにいかないと損」です。
今の若い世代の社会的環境は、リアルがなくても不自由しないような感じもしますが、どうなんでしょうね。
いろいろな事件も見聞きしますけど、リアルでもバーチャルでもいろいろな事件はまあ起こるわけですが、
バーチャルでは捉えられない情報量がリアルにはあるという意味で、
リアルには
「不幸だと感じる苦痛や悲しみ・怒りや喪失感などがたくさんある」そのぶん、
幸福を感じる自信や信頼・愛や感謝などもたくさんある」そう言えると思います。
どちらが良いも悪いも言えない時代ですが、
せっかく人間として生まれてきたのだから、
「生身で触れ合い酸いも甘いも感じていこうよ」と私は思ってしまいます。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。