特別お題「わたしがブログを書く理由」
私はブログでほんの一部の人にしか伝わらない摂食障害をテーマに書いています。
人生の半分以上になる20年を超える摂食障害を経て、ようやく解放された今、
長かった実体験から知り得たことを綴ることで、摂食障害の渦中にある人達の励みや救いになればとの気持ちで書いています。
摂食障害は、
食べ物を拒否する拒食症と、
大量に食べる、もしくは大量に食べて自発的に嘔吐する過食症に分けられます。
いずれも「痩せたい」「太りたくない」気持ちが強く、
若年層、特に女性に多い疾患です。
摂食障害は若年層の未熟で多感な心に入り込み、いつの間にか心も身体も侵食していくウイルスのようなものです。
拒食症と過食症はだいたいセットで、
拒食症で極端に痩せてしまえば、それを是正しようと引き戻す作用が生じて、後に必ず過食症になります。
しかし、現在は拒食症を経ずに、いきなり過食症になる方も多いようです。
過食症に陥ると、依存性と習慣性のある行為(大量に食べて吐く)によって生活そのものが破綻する場合もあります。
生命や健康に危険を及ぼす以外にも、
食べたくないのに食べてしまう自分の矛盾した行動に苦しみ、心が蝕まれていきます。
「食べたくないのに食べてしまう」そんな自分を嫌悪して、やり場のない感情を一時的に処理するために、「また食べてしまうという悪循環」で、
過食症になったら、そこから離れることは非常に難しいと、経験者として断言することができます。
こんなことからも、過食症は依存症と同じカテゴリーだとも言われています。
摂食障害の人が持つ「痩せたい」という気持ちの裏側には、必ずと言っていいほど、社会生活、人間関係などの葛藤を抱えていて、生きることに迷っています。
痩せることに狂い、滑稽にみえても、そこには大人として成熟していくための課題
「痩せていることに頼らなくても生きていられる自分になること」があり、
課題をクリアすることで、成長へのステップを踏み出すことができます。
「どうしたら食べて吐くことをやめられるの?」と誰かに問われたら、
「問題から目をそらさず、生きることを諦めないこと」
「食べて吐くという単なる症状に振り回されないこと」
「今、あなたは成長過程にあるから焦らないこと」
私はそう答えます。
課題の焦点は「成長」です。
「成長を妨げる問題は食べて吐く症状ではない」ためです。
自己嫌悪感でいっぱいになる「食べて吐くという症状」は死ぬほど苦しいのですが、
それは摂食障害の「本当の問題」「本当の原因」ではありません。
それに悩まなくていい。時間の無駄です。
それよりも
「自分はどうして痩せていないとダメなの?」「自分はどうしたいの?」「どう生きていきたいの?」と考え、
夢中になれるものや目標があれば、それに向かうことをやめないことです。
今って
多様性や個性を堂々と表明できる社会になって、時代は進んでいるのに、
変わらず「痩せていることが絶対的な美の基準」であることは、私が若い頃からずっと何十年も変わっていません。
「痩せていることに頼らなくても生きていられる自分になること」が課題なのに、
精神的に未熟である時期に、不動の美の基準は、非常に惑わされ混乱させられます。
摂食障害に陥る人が減るわけないんです。
また、「食べるものが有り余る豊か過ぎる日本」において、日本の総人口は減少していきますが、世界的には人口が増加している中で、
更には地球温暖化の問題もあるのに、
食糧がいつまでも豊富に手に入ると思って、フードロスや環境問題にも大きなテコ入れができない意識に欠けたわたし達と、
ポチッとすれば、欲しい食べ物が簡単に手に入るような現在の食環境も大きく影響し、摂食障害はやはり減るわけありません。
戦後の日本にも、発展途上国にも、食べて吐く症状である過食症はみられないことからも、
社会的背景が大きく関係している摂食障害は、この先しばらくなくならないと思うし、
摂食障害にならないような予防策も、私には分かりません。
そんな社会的背景を変えることができないのなら、摂食障害を未然に防ぐことより、
「摂食障害になってしまったら、どうしたらいいか」「どうしたら摂食障害から解放されるのか」に注目した方が、
今は、生産性があるように思えます。
私は過去、過食症の真っ只中であった時に、食べて吐く自分をどうにかしたくて、食べて吐くことを止めたくて、いろいろ試しました。
クリニックに通い精神科薬をいろいろ飲んで、カウンセリングを受けて、自助グループに通い、
お金も時間も随分費やしましたが、食べて吐くことをやめられませんでした。
これって何故なのか、今なら分かります。
自分が変わろうとしないで、
薬に変えてもらおう
カウンセラーに変えてもらおう
自助グループに行くことで変えてもらおう
自分のことに主体的になれなかったわけです。
食べて吐く行為は「自分の行動に責任が持てないことの現れ」です。
人間、生きるために食べますが、
口に入れて咀嚼し、飲み込んだ食べ物は、胃へと送られ消化吸収されます。
これは、人間の自然な営みです。
しかし、
口に入れて咀嚼し、飲み込んで胃に収めた食べ物を、
強制的に口から外へ逆流させることは、
人間の自然な営みではありません。
このことは、摂食障害となった人の問題をとても良く表していると思っています。
食べて吐くことは、
自分で食べるという選択をしたのに、その選択を「やっぱりやめた」となかったことにしています。
自分で食べるという選択をして、口に入れて胃に送り込んだのなら、
本来、自己の責任のもとに、
きちんと消化吸収することが求められます。
それが、自然の在り方です。
摂食障害から解放されるためには
自分の人生に逃げ腰でいてはダメ。
摂食障害の渦中にある時は、「自分の心に自信を持てない時期」ですが、
「自分で選択し決断したことに自信を持てるよう」
いずれは、生きていかなければいけないということです。
摂食障害に限らず「病気」は、壁や躓き、ハードルと同じです。
「生き方」を問われている時だと思っています。
今までの生き方ではダメですよということです。
摂食障害の渦中にある人に問われる「生き方」は、「その人なりの成長」という実にシンプルな結果にたどり着きます。
そして、そこからようやく自分らしい人生がスタートします。
摂食障害の渦中にある人の励みと救いになればと、今回もブログを書きました。
必要な人に届きますように。
最期まで読んで頂き、ありがとうございました。