過食症の方の社会復帰を考える

私は高校2年生の時に拒食症になりました。

 

ダイエットから生理がなくなり、黄疸が出るほど肝機能が悪くなっても、痩せようとすることをやめられませんでした。

 

何度かブログでも書いていますが、拒食症にある時は、痩せるという自分の思いに矛盾なく真っ直ぐに生きていられるので、なんだかんだあっても気持ちは前向きでいられます。

 

見るに堪えないほどの棒のような脚を堂々と披露している女性を時々見かけますが、

拒食症の時はまだまだ痩せる必要はあるけど、着実に私は痩せていると自分に酔いしれる時なので、活動的に動けたりもします。

 

しかし、

過食症ともなると、痩せるという自分の思いとは裏腹に、禁断の食べ物を大量に食べてしまうという現象に襲われるので、

 

それまでは痩せるという自分の思いに矛盾なく遂行されてきたはずの自分のネジが外れ、

思いと行動が矛盾しているコントロールできない自分に、軽いパニックを起こし気持ちは前向きでいられなくなります。

 

どうやら自分はおかしいようだと気が付き、摂食障害に向き合っていくことを促されていくのはこの過食症にある時ですが、

 

コントロールが効かない自分に疲れ、自信を失い、「社会生活に支障をきたす」のもこの時ではないかと思っています。

 

私は、摂食障害を克服するためには「社会とのつながりが最も大切」だと思っています。

 

摂食障害さんはそのままの自分では自分に自信が持てないので、

「そのままの自分で生きていける」という「強さ」を身につけなくてはいけません。

そのためには、「自分を評価してもらい自分への自信や信頼を獲得していく必要がある」のですが、それらを獲得する場が「社会」なのです。

 

摂食障害が病気だとすれば、

社会は「特効薬」、社会が「治療の場」だということです。

 

今回は、拒食症・過食症という摂食障害の2パターンの中でも、

過食症の方が社会とつながっていく方法」「過食症の方が社会復帰する方法」を私なりに考えてみたいと思います。

 

方法は以下の4項目です。

  • 生活習慣を乱さない
  • 過食症の克服を支援してくれる信頼できる人を見つける
  • 社会で生きていく自信がなくなった時は一旦フェードアウトしてもいい
  • 母親との関係を見直す・場合によっては切り離す

では、1つずつ説明していきます。

 

生活習慣を乱さない

 

「規則正しい生活習慣が理想」です。

朝早く起きて、夜は早めに寝る。

大量に食べて嘔吐するという過食症に飲み込まれないようにして、

過食をしてしまっても「その他の生活は守られるように」します。

 

過食が頻回な場合は、もう「過食をルーティーンとして生活に組み込んでスケジューリングする」と良いように思います。

過食を前提とするなんてと思われるかもしれませんが、生活が乱れて学校や仕事へ行くモチベーションが下がる方がよくありません。ここは割り切っていいところです。

 

私は夜中に過食嘔吐した翌日、毎回最悪な気持ちで学校や仕事に行っていました。やる気なんてあったもんじゃなかったです。

嘔吐しても下剤を飲んで下からも出さないと気がすまないので、翌日は昼頃からトイレに頻回に通うことになり、逆に下剤が効かなくて、翌日に更に増量して飲んだりしたものでした。

 

そうは言っても過食スイッチは突然襲ってくるのでね、そのスイッチは過食しない限りオフにできないのは分かるので、過食した後はできるだけ「元の習慣に戻すように」整えて下さい。

 

過食症の克服を支援してくれる信頼できる人を見つける

 

自分が抱えている摂食障害について打ち明けられ「理解」を示してくれ、「過食症の克服を支援してくれる人」を見つけます。

医者でも親でもパートナーでも恋人でも友人でも信頼できる人とともに「過食症の克服」のために悩みます。

 

私は拒食症から過食症に転じてしまった時、壊れてしまったように感じた自分を誰に打ち明けたかというと、看護学校に通っていた時の社会福祉の外部講師の先生でした。

 

先生が授業で、過去拒食症と過食症だったとカミングアウトしたので、この人だったら理解してくれると打ち明けました。

 

過食症の克服に向けて指南してくれる人がいると、「自分を知る近道になる」と思います。

私は社会福祉の先生から、摂食障害を治すためには、まず自分自身が摂食障害について学ぶ必要があることだと教えてもらい、そこから摂食障害と向き合う人生が始まりました。

 

信頼できる人が探せない時は、経験者である私に相談してみて下さい。

 

社会で生きていく自信がなくなった時は一旦フェードアウトしてもいい

 

常に社会という最前線で頑張る必要はないんです。

もうダメだと感じたら、避難しても良いじゃないですか。

時間をかけて調子を整えてから「ゆっくり再始動」すれば良いだけです。

 

私は看護学校を中退して社会との接点、自分の所属先を失ってから、この先どう生きていけばいいか分からなくなり、それはもう過食嘔吐が酷くなりました。

 

過食嘔吐が酷くなると自信もやる気もみるみる削がれるので、その状態では最前線で社会に出るタイミングではないと思っています。

 

看護学校を中退して宙ぶらりんで、その後2〜3年間ほどアルバイト生活をしていました。

このアルバイト生活を経て、私は栄養士になるという目標を持って短大へ入り卒業して、ようやく就職することができました。

 

アルバイト生活は、社会へ向かって再始動する良い「準備段階」だったと今は思っています。

「慣らし期間」のような。

面積は狭いくて立ちにくいけど、とりあえずの「立ち位置作り」のような。

 

アルバイトという比較的責務のないポジションで、働き方も融通がきくことは、社会に対して自信を失っている摂食障害さんには、「入口」として適している気がします。

 

イヤイヤ看護学校へ通っていた時も過食症が酷くて、やりたくないことをやっているから過食症が酷くなるんだと思い込んでいたのですが、

所属先を失ってもその不安や焦りから過食症は酷くなり、

イヤイヤ看護学校へ通っていたストレスが無くなったのに、どうして過食症がちっとも治らないんだと大きな誤算を抱えたような気持になりました。

 

過食症は、例えやりたいことをやっていたって、自分が変わらない限り付いて回ります。」

 

だからというわけではないけれど、社会という自分が変わる、強くなるチャンスを与えてくれる場は必要なのです。

 

母親との関係を見直す・場合によっては切り離す

 

多くの専門家が摂食障害と母子関係は関与すると述べています。

母親から愛情をもらえずに育った、母親に溺愛され育ったなど、摂食障害になる要因があるようです。

 

何を持って母親から愛情をもらえなかったか?

何を持って母親に溺愛されたのか?

これは「本人の主観」からしか図れないので、母子関係が摂食障害に影響する場合、「本人の主観が全て」ということになります。

 

つまり、

他の人からしたら、母親から愛情をしっかり与えてもらい愛情不足とは思えなくても、

摂食障害になった「本人からしたら愛情不足に感じた、もっと愛してもらいたかった」ということになります。

 

母親という絶対的な存在から、

「自分は愛されているという安心感」や、「自分は愛されるに値する存在だという自己肯定感」が適切に与えられなかった、感じられなかったことで、

「そのままの自分では自分に自信が持てない」

という思いを抱くことは、

その後、摂食障害に陥りやすい資質をつくることにはなるでしょう。

 

母親との関係に不満や不調和を抱いている場合は、できるだけその思い(愛してもらいたかった、束縛されて苦しかったなど)を母親に直接伝え、そこから「新たに母子関係を構築していく」ことが良いと思いますが、

これは「理解を示してくれる親に限って」のことで、

 

理解を示さない親に自分の思いを伝えたところで無意味どころかやっぱりかと落胆して、傷が深まるだけなので「絶対に避けるべき」だと思っています。

 

理解を示さない親には、「期待をしない」。

「自分の人生から切り離す覚悟が必要」だと思っています。

 

いつまでも過去を背負っていては、その重みで前に進めません。

 

過去を切り離したいと願うだけでは、自分がずっと抱えてきた寂しさと痛みを切り離すことはできません。

 

過去を切り離すためには、

「自分はここで生きていくという居場所づくり」と、

「自分にはこの人がいるから大丈夫という信頼できる人に支えてもらう」ことが有効です。

これらは項目②③につながることです。

 

摂食障害だった友人は、母親を恨みながらも愛していたいという思いが混在して悩んでいました。母親と離れたいあまり高校卒業と同時に東北から神奈川県の学校に進学し、信頼できる彼氏と看護師という仕事を通して自分の居場所をつくりました。

母親から連絡があるたびに鬱々として複雑な気持ちになるようでしたが、

信頼できるパートナーと懸命になれる居場所ができたことで、「過去に引っ張られずに現在を生きることができる」ので、

時間が経てば「愛すべき可哀想な人」という心境を持って、母親と対峙できる日が来るんだろうと思いました。

 

「自分にとって心をざわつかせるもの」「危険だと感じるもの」には近付かないのがベストだと思っています。

 

以上

過食症の方が社会とつながっていく方法」「過食症の方が社会復帰する方法」を私なりに考えてみた4項目でした。

誰かの参考になれば幸いです。

 

今回も読んで頂きありがとうございました。