欲張った金の斧でもなく、手にしていた銀の斧でもなく、未知である無色の斧。

さんざん書いているように私は今ようやく、20年以上続いた拒食症と過食症いわゆる摂食障害とさよならできました。

 

さよならできたきっかけは、左上腹部の腫瘍(手術後に良性と判明しました)という衝撃的であり、もう降参だと思わせるものでしたが、さよならできてお得だらけでした。

 

過食代にかかっていた消費がなくなり、お金の出どころを把握しやすくなって、消費への不安が軽減しました(何故かそのぶん貯まるわけではなかったけど)。

過食嘔吐に費やしていた2〜3時間ほどの時間を、他のことに使えるようになり日々の充実感が深まりました。

ほぼ嘔吐のたびに出血していた傷みきった限界ギリギリの食道が救われ、逆流性食道炎の症状が軽減しました。

 

他にも、トイレットペーパーの消費が減ったとか、面倒な嘔吐後のトイレ掃除がなくなったとか、言い出したらきりがないくらいですが、

過食嘔吐に振り回されない20年ぶりの普通の生活は、なんて平和で落ち着いて安定感があるんだろうと感じました。

 

過食症である最中は、摂食障害とさよならできたらこんなにお得だらけです!と教えてもらえても、

「じゃあお得だと感じられるところに行き着く策を教えてよ!」と詰め寄りたいくらい、先のことなんて知ったこっちゃないくらい、

早く過食嘔吐という呪縛のようなものから救われたくて仕方ありませんでした。

 

 

私が過食症ど真ん中であった当時に教えてもらいたかったことは、

心療内科の医師にもカウンセラーにも誰にも友人にも教えてもらえませんでした。本にもネットにも載ってなかったと思います。

 

私が教えてもらいたかったことは、摂食障害は「生きていかないと治らない」ということでした。

生きていくことで治るということを教えてくれる人も、場所も、何処にもありませんでした。

 

生きて、人間関係の中で揉まれて、たくさん涙を流してたくさん失敗してたくさん失望して、

逆境や苦境から「自分という人間を知ること」で、摂食障害が治るんだと教えてもらえたら、

もうちょっとだけ早く摂食障害とさよならできたんじゃないかなと感じられたりもします。

 

 

歳を重ねていくと、「生きることは自分を知ること」なんだと感じませんか?

自分という人間を知ることに、生きることの意義があるように感じるのです。

 

生きていると、自分を知るための関所が至る所に用意されているように感じます。

目の前に真っ直ぐ続いていたはずの道が突然途絶えるような出来事や、

信じきっていたものが失われる時や、

どうにも身動きがとれない八方塞がりの時は、

まさに関所で、

 

「自分を知りなさい」という時だと思っています。

 

「自分を今一度振り返り、自分のしてきたことを知りなさい」

「周囲に惑わされず自分の本心を知りなさい」

「明るい未来を願い望む自分を知りなさい」

 

自分を知ると、知ることができた自分に見合う行動がとれるものです。

 

 

逆境や苦境に立たされることは、悪いことではないんですよね。

自分という人間を知り、

「欲張った金の斧でもなく、手にしていた銀の斧でもなく、未知である無色の斧」を選び、

その無色の斧を染め上げ磨き上げる作業のスタートラインに来たということなんでしょうね。

 

私の上腹部の良性腫瘍も典型的な関所でした(病気にかかることの多くは関所だと思っています)。

手術前は良性か悪性か分からず、主治医にはもしかしたら胃を全摘するかもしれないと言われていたので、

 

この先短い命になっても、これは自分が長年してきた過食嘔吐の因果応報で、

結末がどうあっても、憎たらしくも何より愛していた過食嘔吐とこれで縁を切ることができるなら、有り難いことだと思うしかありませんでした。

「これでやめられる」と薬物で逮捕される芸能人がもらす言葉にきっと似ています。

 

術後、今まで愛してやまない過食嘔吐だったけど、今の私にはもう必要ないんだとハッキリ知ることができました。

 

過食嘔吐によるストレス解消のお得感より、過食嘔吐しないお得感の方が優っていたのは、もう随分前から気付いていることでした。

 

手放せなかったのは、「無色の斧」を選べない過食嘔吐にしがみついてしまう自分の弱さで、

左上腹部の良性腫瘍という病気に、背中を押されたようにも感じました。(薬物で逮捕される人もそんな心境なんじゃないかと思います。)

 

逆境や苦境に立たされることは、悪いことではないんです。「自分の過去を振り返り、自分の今を知り、自分がどんな未来を望むのか」を知る時なんですよね。

 

摂食障害に限らず、生きていれば誰にでも大きな関所が訪れて、

「自分を知ること」で問題が解決へと向かう、事態が収束していく策になるのだと思っています。

 

地位のある人があり得ないような不正や犯罪を侵してそれが露呈するような時は、「自分のしてきた過去を振り返りなさい」と問われている時なのに、いつまでも欲張って「金の斧」を望んではいけない、というのが良い例だと思います。

 

今現在、摂食障害に苦しんでいる人は大きな関所にきていることを認識して、

長く続くかもしれないけど、今は自分という人間をしっかり知る時だと思って下さい。食べて吐くという現象を悲観することなんて絶対にありません。

 

生きていると、うまくいかないことがあります。信じていたものを突然失うこともあります。もうどうにもできないという時があります。

そんな状況に立たされた時には、うまくいかない現象や失った現実にばかり目を向けるのではなくて、

その裏にある自分の感情を見過ごさないで、「自分を知る」ことにも注力してほしいなと思っています。

 

半分自分に対してのブログでもありました。自分を知るって難しいですよね。

 

今回もマニアックなブログなのに、最後まで読んで頂きありがとうございました。