目標に至る過程に秘められた大きな「副産物」

何かに目標を持って、

頑張って頑張って目標到達を目指していたのに、

途中でブチって目標が途切れた経験はありませんか?

 

いろんな障害にあって、ついにはブチって続けられないような状況になったり、

思うところがあって自身でブチって断ち切ったり、

そんな経験が私はとても多いのですが、

きっと誰もがそんな目標まで到達できなかった経験をしているんじゃないかと思います。

 

何かを目指す、ということは、

自分がどうすればいいのかという行動が明確になりますから、結果的に現実となりやすいです。

 

なので、

学校の先生は生徒に目標を持てと言うのだろうし、

私のような特別養護老人ホームの管理栄養士は、ご入居者様一人一人に栄養ケアの目標を立てた計画書を作成します。

 

一方で、目標達成への念力だけ強くなって、行動できない人はたくさんいます。

処理できないほど念力が強くなりすぎて行き詰まった先に、

目標が歪んで傲慢になって、

問題行動を起こす人はたくさんいます。

 

目標への強い思いは必要だけど、

実際に行動できないと目標に近付くことができないのは当たり前です。

思いと行動が一緒になれば、強く行動していけます。

 

私は、「過食して吐くことをやめよう」「摂食障害を克服したいと」と、食べて吐くことを覚えてしまった19〜20歳の頃から、40代までずっと思って、

過去ブログでも書いていますが、心療内科を受診したりカウンセリングを受けたり、自助グループにも参加して薬物療法も試してと、それなりにジタバタ行動をしてきました。

sayosalada.hatenablog.com

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食べたくないのに食べてしまうことは

ものすごいジレンマとなり、ものすごいストレスでした。

 

「今日は過食しない」「このお菓子は吐かない」

自分の掲げた小さな目標が毎回砕け散りました。

砕け散った先に「明日はもう過食しない」と誓いにも近い目標を掲げますが、やっぱり砕け散り、繰り返しのエンドレスでした。

 

今やっと、食べたくないのに食べちゃうジレンマから解放され「過食して吐くことをやめる」ということが叶いましたが、

 

これ、目標達成とはちょっと違うんですよね。

 

結果的に「過食して吐くことをやめる」「摂食障害を克服する」ことに辿り着けたということで、

思いは強くても「過食して吐くことをやめる」具体的な行動というのはなかなかできずにいました。

 

拒食症や過食症といった摂食障害は、

「拒食しないでちゃんと食べるぞ!」「過食しないし吐かないぞ!」

と、普通に考えれば「それで済むことでしょ」「そうするだけでいいでしょ」といった具体的で現実的で明確な行動というのが、なかなか通用しません。

 

痩せていくと生命に危険が及ぶので、食べればいいんです。

食べて吐くことをやめたいなら、食べなきゃいいんです。

食べて吐くことをやめたいなら、吐かなきゃいいんです。

けどこれが、本当にできないんです。

 

摂食障害は、

アルコール依存症買い物依存症、そして薬物依存症などと同じカテゴリーに数えられることもあるほど、習慣性と依存性の高い厄介なものなのです。

 

また、お腹がパンパンになるほどに食べては「自発的に嘔吐する」ことは、

食べ物を口に入れて飲み込んで消化吸収させるという生理的な行為、自然の営みに反する行動なので、身体をジリジリ痛め酷使していきます。

単純にダイエットが上手くいかない状況と過食症との違いは、依存性の高さと健康被害にあると感じています。

 

 

だとしたら、

「過食して吐くことをやめる」「摂食障害を克服する」といった強い思いや目標を

念力で終わることなく思いが歪むことなく、現実のものとするためにはどうするべきか?

 

私なりの摂食障害を克服するという目標達成への考え方ですが、

摂食障害に囚われず、「他の目標を見つけること」が効果的だと思っています。

 

過食症なら「過食して吐くことをやめる」拒食症なら「食事をきちんと食べて太る」以外の目標を抱いて生きていくことです。

 

難しいことなのですが、過食して吐くこと、食事をきちんと食べることに振り回されることないように努め、

家族以外の社会との関わりから離脱しないことも、とても大切です。

(振り回される事柄は原因ではなく「症状」で、根本原因を消滅させるために社会との関わりは必要だからです。)

 

冒頭に、

目標到達を目指していたのに、途中でブチって目標が途切れたという話をしましたが、

途切れはしたけど「あの経験があったから」ということもまた、誰もが経験していると思います。

 

大好きな人に振られて悔しくて悲しいから、絶対に見返してやりたい後悔させてやろうと目標を立て、

女磨きをして綺麗になったところで、振られた彼氏なんて足元にも及ばないほどイケメンの彼氏ができちゃって結果オーライなんていうのも、「あの経験があったから」ですよね。

 

摂食障害克服もそんな感じで、

人生の中で何か目標を抱いて、行動していった先の「副産物」として得られるもののような気がしています。

 

摂食障害克服に限らず、

自分がこれまで獲得してきたものは、もしかしたらそんな副産物だらけという気もしてきます。

 

例えば、テストで100点を取ろうと目標を立てて頑張って、目標達成となる100点を取ったことはもちろん凄いことですが、100点を取るための知識を得たことの方が、学ぶという意味で凄いことです。

 

生きる上で本当に大切なことって、

目標に至る過程に秘められているような気がします。

秘められたものは、まさに「副産物」です。

 

この副産物は目標に至る過程にあるので、例え目標が達成できなくても得ることができます。

 

摂食障害を克服するためには、

専門家にサポートが必要なタイミングもあると思いますが、専門家が自分の拒食と過食と嘔吐を止めてくれるわけではありません。そんなミラクルは幻想です。

 

摂食障害を背負いながら生きていくのは辛いけれど、「過食して吐く、拒食するといった単なる症状に振り回されず」(これが重要です!)

人生の目標を探し当てそこに努力して、

それでも負けないと強く生きていくことで、ずっと欲しかった副産物を手にすることができます。

 

生きる強さを身につけることができれば、摂食障害は必ず克服できますから。

 

長くなってしまいました。

マニアックなブログを最後まで読んで頂きありがとうございました。