摂食障害予備軍について考えてみました。

食事を拒否する、あるいは最小限でしか口にできない、自分で良しとしたものしか口にできない症状を一般的に拒食症と呼びます。

 

大量に食べては自発的に嘔吐する、あるいは大量に食べて嘔吐しない、嘔吐できない症状を一般的に過食症と呼びます。

 

拒食症も過食症も、器質的な問題はありません。

 

そして、拒食症と過食症の総称を、一般的に摂食障害と呼んでいます。

 

私は摂食障害の専門家ではありませんが、

自分の人生の約半分を占めた拒食症と過食症からようやく解放された経験から、

摂食障害について毎度飽きもせず考えています。

 

今回は「摂食障害予備軍」について考えてみました。

予備軍なので、境界線だよねというところです。

 

うちの高校生の長女は完璧な摂食障害予備軍です。

 

食べるもののカロリーチェック、食事量やスイーツの制限、など、いわゆるダイエット生活をしています。

一方で、お友達と遊びに行くとお腹いっぱいになるまで食べてきては、

「どうしよういっぱい食べちゃった」と言って厳格なダイエット生活に戻ります。

 

これに加え炭水化物を制限していた頃、毎月順調に来ていた生理が来ないと言ってきたので、

ここまであえて放っておいた私もさすがに声を掛けました。

 

「貴方の身体はもうここが限界ということだよ」

「ダイエットのし過ぎ。排卵誘発剤を打つために婦人科に行かなきゃいけなくなるよ」

 

長女は「もっと痩せたかったのに」と口にしたけど、ヤバいなと感じてくれたようで、

「え〜ママどうしたらいいの?」と聞いてきたので

「ごはんを抜かないできちんと食べるようにしなさい。うちは玄米混ぜてるんだから健康的なんだよ」と答えました。

 

長女は私と違って賢いなと感じたのは、

今も痩せることへの拘りや関心はそのままありますが、

きちんとご飯を食べるようになったことでした。

生理も順調に来るようになりました。

 

私の場合、親になかなか気付かれなかったこともありますが、

生理なんかより痩せることが絶対的優先順位だったので、数ヶ月生理が来ないままでも何も感じなかったことを覚えていますが、

その後は母親に説得され婦人科に連れて行かれました。

 

 

摂食障害予備軍はとてもとても多いと思います。

 

日本中、特に女性はみんな痩せることダイエットへの関心を持っていると言えるくらい、痩せることは美の基準の1つになっています。

 

若い世代でそれが顕著で、

私や僕としての価値が「痩せていることで成り立つ」と認識していたりするので、

痩せていることは「自分を守るための欠かせない鎧」で、

鎧を失うと「自分の価値までも失われる」私や僕が、

「社会で平和に楽しく装い生きていくため」にも、

痩せているという鎧は必須だったりするのです。

 

そんなことを考えれば、

なぜ若年層に摂食障害が多いのか、よくよく理解できます。

 

まだ「未熟」であるからです。

 

自分をよく見せようと必要以上に背伸びしたり、ダサいと言われたくないから周囲に合わせたり、

自己肯定感がなく、劣等感があり、

 

私は私、僕は僕と考えられないから、「みんなと共通の美の基準」をまとって自分を「防御」したり、

時に「みんなの美の基準を大きく上回ることで」注目され賛美を得ようとします。

 

自己肯定感は生きて育てるもので、

劣等感をバネにして向上心が生まれます。

 

未熟であるのは当たり前なのに、

未熟であるからこそ学べることがあるのに、

みんな早くから価値ある人間だと認めてもらいたいと焦るから、

周囲と歩調を合わせよう、特別な自分でいようとして、疲れてしまうのでしょう。

 

若い頃は未熟で当然。

今、評価されなくて当然。

自分を探求する時期なので、迷いも多く、だからこそ、摂食障害摂食障害予備軍が多いのだろうと思っています。

 

摂食障害摂食障害予備軍も「紙一重」なので、

均衡しているように見える絶妙なバランスが少し傾くだけで、予備軍が摂食障害へと傾く危うさがあると感じています。

 

長女のように自分の身体を大切に扱う意識があれば、周囲の人が軌道修正してあげることで逃れられますが、

 

昔の私のように、自分の身体を大切に扱う意識がない人は、そのまま拒食症や過食症へと突っ込んでしまうでしょう。

 

ちなみに、自分の身体を大切に扱う意識がない人、自分を大切にできない人は、周囲の人を大切にできません。

 

自分で自分を大切にできないから、自分を大切にしてくれる第三者である誰かを求めてばかりいます。

誰かを求めてばかりなので、基本的に自分中心です。

 

想像力にも欠けるから、周囲の人の気持ちが想像できなくて、大切にもできません。

想像力に欠けるから先のことを考えられなくて、自分の身体の先のことを想像できずに、後に自分が苦しみ、自分の周囲の人まで悲しませることにもなります。

これ、昔の私のことです。

 

 

摂食障害予備軍が摂食障害に陥らないためには、やはり軌道修正する周囲のサポートが必要です。

未熟で不安定な心そっと支え、教え導く成熟した大人の役割は重要です。

 

摂食障害摂食障害予備軍は紙一重ですが、

その紙一重をくぐり摂食障害へと来てしまうと、予備軍に戻ることはかなり困難になると思っています。

 

拒食症であれば、いずれ過食症に転じます。

過食症には依存性があり、1度ハマると抜け出すことはかなり難しくなります。

 

初期消火が大切ですが、

摂食障害予備軍のうちにダイエットは良くないと火消しするには、この時代そっちの方が難しいことでしょう。

 

摂食障害は飽食の時代が生んだ産物ですが、多様性が叫ばれるようになった昨今では、

「個性や、私らしさ僕らしさを求められる風潮」により、より一層アイデンティティ確立の未熟さが目立つように感じています。

 

摂食障害はいつの時代も若年層にこびり付いて、なかなか取り除くことが難しい、そんな風に感じています。

 

 

今回も持論多めでまとまりに欠ける文章なのに、最後まで読んで頂きありがとうございました。