自分の人生を傍観するのではなく、自分の人生の当事者となる。

新年の幕開け、元旦から能登半島地震、翌日は羽田空港での衝突事故という信じられないニュースが飛び込んできました。

 

亡くなられた方の御冥福と被害に遭われた方が一刻も早くこれまで通りの生活に戻ることを願うばかりです。

 

今回のような震災、避けようもない災害が起こるたびに「明日は我が身」だと思います。

 

今回の地震が天災だとしても、人工地震といわれる人災だとしても、

現実に起こって被害が出てしまえば、ましては被害者となってしまえば、

そんなことは、命の危機・不衛生な環境にさらされている現地では、現時点もうどっちでも良いわけで、

 

そんな天災にしろ人災にしろ、

大勢の命が奪われるような現実を「私たちは阻止することができず受け入れることしかできない」ということだけは確かです。

 

私は神奈川県に住んでいるため、阪神淡路大震災東日本大震災も今回の能登半島地震も、直接的に被害にあっていないのですが、

 

被害にあっていない側からしても、

こんな事が起こると命の大切さを痛感するし、平穏な日常がどんなに幸せなのか思い知らされます。

 

若い頃は大変そうだなと他人事で見ていたものが、歳を重ねるにつれて他人事ではなくなっていくのは、私だけではないと思います。

 

人生経験が他人の痛みを理解する人間性を備えさせ、

自分の周囲にいる人はもちろん、自分と直接的に関わらない人(例えば宅配業者の人とか)が欠けただけで、

自分の世界はそれまでのバランスを保てなくなるということを理解することは、人間力を育てるのだと思います。

 

社会で生きていく人間は、どうしても社会と相互に影響を受けるので、ひとり勝手に生きていくことはできないのだと感じます。

 

今回の能登半島地震も、テレビ画面や動画に映る風景に驚愕し、画面越しでも直視するのが憚れるほどで、

 

それを見ている限りにおいて、

過食症やダイエット信者のような

「痩せたい」とか「太ってはいけない」とか、贅沢なことを考える余地は全くもって発生しないことでしょう。

 

東日本大震災当時の話ですが、

私はまだバリバリ過食嘔吐しており、結婚もしていて、子育て専業主婦でした。

 

普段は子育ての合間をぬって過食嘔吐していましたが、震災からしばらくは、被災した方に申し訳なくて過食できませんでした。

 

しかし時間が経過するに従い、実際自分の身に起きていないことは都合よく外側へ追いやられていくもので、辛く苦しい映像もあえて見なくなるもので、

 

更に、

当時の旦那さんが震災から程なく被災地の復興支援へと出張し、しばらく子どもたちとの3人暮らしになったこともあり、気軽に過食ができる環境が整っていったことで、

 

再び過食へと誘発されていきました。

 

「痩せたい」とか「太ってはいけない」とか、贅沢なことを考える余地は全くもって発生しないのは、

それを見ている限りにおいて、

つまりは、「命の大切さを痛感する期間」においてであって、

 

過食症にある人が、命の大切さが平穏な日常と同じように当たり前にあるものだと認識してしまえば、

食べ物があるのにあえて食べない、食べ物を食べては吐き出す行為を、いとも簡単に呼び戻せてしまいます。

 

食べて吐く行為はそれがいくら切羽詰まっていても「豊かさの象徴」であることは間違いなくて、

言い換えれば、「豊かさを失えば、行為をする手段を失い、成す術がなく消失する」ということでしょう。

 

東日本大震災後に自分の過食症が復活したことは、自分なりにショックだったことを覚えています。

 

「同じ日本で被災して大変な人がいるのに私は過食するのか」

という自分に対する落胆とともに、

「もう何日も過食していないのだから、この震災を機に、自分は過食症から抜け出せるのではないか」と期待していたためです。

 

振り返って今言えることは、

 

自分が傍観者でいては事は動かせないということです。

自分が当事者となった時にようやく事態を動かすことができるのだと思っています。

 

この当事者とは、震災に遭うということではありません。

 

自分が「自分の人生を傍観するのではなく」、

自分が「自分の人生の当事者となる」ということです。

 

「自分が主体となって人生に向き合うこと」を意味しています。

 

過食症は自分に絡みついてちょっとやそっとじゃ引き離せません。自由に生きることを阻ませているのは他ならない「自分自身」です。

 

でもこれ、そんなの分かってるよと言われるでしょうし、分かっていてもできないと言われると思っています。

 

私のプライベートなことなのですが、

東日本大震災の年、今年の漢字に「絆」が選ばれたほどに「家族の絆」を再認識させるような年になったわけですが、

 

先ほど書いたように、私の元旦那さんは東日本大震災の被災地に出向いたこともあり、

もう既に夫婦として生きていくことに悩み始めていた時でしたが、こんなに頑張って働いてくれてる人なんだから、もう一度家族としてやっていかなくちゃと思った年でした。

 

けれども、そう思えたのはこの年だけで、翌年にはやっぱり無理、離婚したい離婚したいと再燃しました(非情な人間なのかもしれない)。

離婚したいと思うだけ、仲良し夫婦を羨むだけ、独身者を羨むだけの主体的に動かない人生の傍観者に舞い戻りました。

 

絆だなんだと環境に巻き込まれても、何年も蓄積した離婚したい気持ちが一掃されるはずはなく、

「自分自身が本気でそう思わなければ、やっぱり元の場所に戻ってしまうんだな」と感じました。

 

過食症にしても一緒です。

 

頑固に絡みついたものを引き離すのは、「人生を自分主体で変えていくような覚悟」や「タイミング」が必要なんだと感じます。

 

過食症の時期は自分を探している時で、弱いようだけど過食嘔吐を武器に(太らないでいられる、ストレス解消できる)社会に向き合ってなんとか強く生きられる時でもあります。

 

人生に訪れる問題は過食症だけじゃなく、

人生の傍観者でいる忍耐の時期もあるし、

今回の震災のように命を揺るがすような事態に巻き込ませることもあるけど、

過食嘔吐に何度自分に失望しても、どんな事態に見舞われても、

「諦めたくないとがむしゃらにでも生きる覚悟」は生死を分けるくらいに大切だと思っています。

 

諦めずに生きていけば、いつか自分という人間の薄い輪郭を捉える時が来ます。必ず来ます。

そこから、輪郭を太くなぞるために動き出すことができるはずです。

 

(ちなみに、拒食症時期は自分探し迷路の前段階なので、うまく過食症に転じることが最善のパターンではありますが、

命の危機に陥りそうな危うさがある場合、周囲の人が適正な医療機関に連れて行くことが求められます。)

 

人生を自分主体で自由に生きていけるのも、平和や安全あってのことです。

 

「明日は我が身」だと感じるので、

綺麗事ではなく、どんな形でも、この自分の今の豊かさをほんの少し差し出すことが、

今の自分の心情に相応しい行動であるように思っています。

 

被災者の方には、1日も早く温かい場所で安心して眠れる日が訪れるよう願っています。

 

今年初めてのブログになりました。

今年も読んでいただける方に感謝いたします。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。