摂食障害から解放されるためには、
「自分を知る」ということはとても大切になります。
摂食障害になる人の多くが自分と他人とを比較していて、自分らしさが置いてぼりになりがちです。
しかしながら、自分を知るためには他人との比較も必要なので、
摂食障害の人には他人との比較がプラスにもマイナスにも影響するということになります。
自分を知るための策は他人との比較の他にも、
自分の良いところ悪いところを挙げるとか、自分の好きなこと、やっていて楽しいことを挙げるとか、
自分という人間を少し客観視するような作業として、私も散々箇条書きにしてノートに書いてきました。
でも、自分の良いところを挙げてノートに書いたとしても、それを見返すことなんてなかったし、
やっていて楽しいことなんて今自分の首を締めている食べることだったし、
「生まれ変わろう」みたいに思って定期的にノートに書く日はやってきて、「生まれ変わろう」と思っているからノートから一新したくてわざわざ買ったりするんですけど、
まあ生まれ変わっては即死んでといった感じで、瞬間瞬間で終わりましたね。
だからというのはナンなのですが、
「自分を知る」ためには、
「生きる」しかないんですよね。
場数を踏むしかなくて、辛い時期をひとつひとつ越えていくしかないんですね。
摂食障害を加速させること、
他人ともう散々比較することしかなくて、
「自分を追い詰めて追い詰めて、見えるものを知るしかない」
人によっては場合によってはギリギリな感じなんだと思います。
優しいこと、綺麗なことを並べ立てて、
「そのままでいい」「無理しなくていい」といった考えで摂食障害を捉えるのは、私は違うような気がしているので、
他人との比較以外の、生きる上で浮上するハードルや問題にしても、
「目の前に茨の道が現れたら挑んでみて、ダメそうならとっとと逃げる」ことが最良だと思っています。
チャレンジはして場数を踏んで、
イケそうなら突き進む、
ダメそうなら逃げる。
クリアすることが目的ではなくて「自分を知ることが目的」です。
自分には何が合っているか?何がハマるのか?
それを探るためなので、ダメそうならとっとと退散する。
退散したことで自分に合わないものがわかるので十分な収穫です。
逆にやってみたらハマったというものもあるかもしれません。
私は過去を遡ると、本当にいろんなことが勢い優先の行き当たりばったりで、どんぶり勘定で事を進めていくので、
だからなんでしょうね、計画性がないから、家庭にしろ仕事にしろいろんなものが中途半端で歪みあるものばかりですが、
それが「私」で、
常にジタバタしなきゃいけない自分が、ここから先、またどんなジタバタをみせてくれるんだろうと楽しみにしているくらいです。
優しいこと、綺麗なことを並べ立てて、
「そのままでいい」「無理しなくていい」のまま従えば、自分を知る材料が得られないですよね?
摂食障害になったのは何故かといえば、
人生に迷っているためです。
迷子になった自分を助けてくれるのは子どものときだけです。
大人になったら自分で抜け道を見つけないといけません。
それが迷子になった大人のすべきことだと思っています。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。