「食べることが大好きなんです」という言葉に詰め込まれる現代人のいろいろな感情。

「食べることが大好きなんです」と言われる人や、芸能人がいますが、

 

その言葉を聞いて私としては、

1日、1週間、1ヶ月間、1年間生きているうち、

「食べることが大好きなんです」と口から出るような状況なのだとしたら、

「え?なんか違うよね?」と違和感を持ってしまいます。

 

何故「え?なんか違うよね?」と違和感を持つのかというと、

シンプルに、食欲は、睡眠欲、性欲と同じで人間としての「本能」だからです。

 

本来人間「食べることが大好き」って思っていないといけないわけですよね。

食べないと生きていけないわけですから。

そう感じるようなデフォルト設定だと思っています。

 

睡眠にしても、眠って休息をとらないと生きていけないので、眠気を誘って眠るように仕向けるデフォルト設定があるわけです。

 

性交は、私たち人間という種族が生き残るために必要で、行為の際気持ち良いと感じるデフォルト設定をもたせることで、種族の繁栄へと導きます。

 

「食べることが大好き」という思いは、生きていくために必要な感情であって、とても原始的で単純な感情です。

 

その原始的で単純な感情「食べることが大好き」を堂々と答えている人を見ると、

この楽しいことで溢れているように見える豊かな日本ですが、

 

大好きなことってこんな単純なことになるのか?

他に大好きなことって言えることはないのか?

楽しいの選択肢がどれだけ多くても、一周回って食べることに戻るのか?

 

そんなことを考えてしまいますし、

「え?違うよね?本当は他に大好きなことあるよね?」と聞きたくなります。

 

人によっては、その「食べることが大好き」の先頭に

「友達と」「彼氏彼女と」「子どもと」など付くことで、

「食べることが大好き」が成り立つことも多いのかなとも思いますけど(ワイワイするのが好きで、ひとりで食べると大好きにはならないなど)、

 

デパ地下もなんたらヒルズも駅ビルも、スーパーもコンビニも、インスタも、TikTokも、グルメネタで溢れていて、

新しい食べ物、バズったものへの好奇心や食べておかなきゃ感が先行していることも多いんじゃないかと思っていますし、

 

「食べることが大好き」は本当のところ付属の意味合いやまとめた言い方であって、

原始的で単純な感情が、バズりとか承認欲求とか現代特有の感情と交差して、

「大好き」「楽しい」になるんだろうなと思えてきます。

 

そう考えると「食べることが大好き」は多様性があって便利な言葉ですね。

 

「食べることが大好き」の1文の中に、食欲を始め、愛情や好奇心や見栄や承認欲求や癒やしなど、たくさんの感情を詰め込むことができますから。

 

食べ物や食べることに対して、

個人個人思い思いの感情を詰め込んでも、食欲という本能は共通しているので、

誰でも最後は「おいしかった〜」と

「食べることが大好き」で共通意識でまとめられることは、

食べ物や食べることが絶えず大きな喜びと経済効果を生み出す仕掛けかもしれませんね。

 

ちなみに、

摂食障害過食症の人も例外なく「食べることが大好き」ですが、

「食べることが大好きだけど怖い」と複雑な感情を抱いています。

 

いつ制御不能な過食スイッチが入るか緊張しながら食べるし、

食べることに不安が強い過食症の人は、食べ物や食べ方などにマイルールが存在すると思うので、他人と一緒に食事をすることはルール遂行の邪魔でしかないため不安で恐怖なのです。

 

また、過食症の人は食べることに執着がありますが、それは執着の裏に恐怖が存在するからです。

好きな人に浮気されないかと不安があると、好きな人を必要以上に監視して執着してしまうのと同じです。

 

摂食障害の人は、原始的で単純な感情を素直に「大好き」と受け入れることができない複雑さを抱え苦しんでいます。

 

好きな人を始終監視している様は異常で、傍から見るとあえて嫌われるようなことをしてるよねと思うけど、自分が納得するまで監視せざるを得ない感じで、

わかっているけど不安だから疑うことをやめられず信じられないのです。

 

「食べること」も「大好き」という感情も、孤独や不安や恐怖といった感情も詰め込まれるので、

その言葉の裏側は、実にいろいろ複雑だなと感じます。

 

とりとめのない話になってしまいました。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。