過食嘔吐している矛盾を責めない。感じて潰して強くなればいいだけ。

先日、私が勤務している特別養護老人ホームに新しく入職された女性の介護職員さんとご利用者様の食事についての話をしていましたが、いつの間にか、

 

「私たちだって食事は大切よね」

「動く(活動する)って大切よね」

「私たちも健康でいないとね」

 

というような話でちょっとだけ盛り上がりました。

 

その職員さんは恐らく50代で、健康を気にする年齢だということもあり、

職場まで50分徒歩で通勤していると言い、

介護職だから腰を痛めないようにストレッチは欠かさないと言い、

食事が身体を作るんだから自炊を心掛けている

と言い、

 

確かに、

とてもスレンダーで、

背筋はピンとしていて、

随分健康意識が高い方だなと思って話をしていたのですが、

 

数日後に、その職員さんが喫煙所でタバコを吸っているのを見かけて、

「そんなこともないんだ」

と思うようなことがありました。

 

また、

一緒に働いている管理栄養士さんにしても、

散々、委託給食会社さんの不満を口にしてくるので、「委託先を変えてもらいたいって施設長に相談してみてもいいんじゃない?」と持ちかけると、「いやでも、何とかやっていけばいいかなって思う」と言うので、

 

「だったら延々不満を垂らすなよ」

と思うようなことがありました。

 

こんな矛盾だらけの言動や行動って、私もモチロンしていることで、みんな誰もが日常的にしていることだと思っています。

 

日常的すぎるから、多くのことが気にもせず支障もなくスルーされていると思うのですが、

 

「あれ?さっき言ってたことと違くない?」

「え?やってることおかしくない?」

 

それって矛盾じゃね?って浮きだって感じる時だけ、「矛盾」という違和感を抱くんじゃないかと思います。

 

先の職員さんにしても、

全体像として捉えた姿からかけ離れた喫煙するという事実が目立ち、矛盾を感じたのでしょうし、

 

これが、職員さんと同じように、そうは言ってもタバコはおっけーという健康観だったら、喫煙なんて目立つこともないから矛盾なんて感じないわけでしょう。

 

一緒に働いている管理栄養士さんにしても、

私としては不満ばかり口にするんじゃなくて、解決する策を話し合いたいと思うし、

それができないなら思っていても黙っているべきだと思っているので、

彼女の発言が目立ち、矛盾を感じました。

 

これが、彼女と同じように「そうだよね〜最低な会社だよね〜」というような会話を広げていきたい人なら、彼女の言葉に矛盾を感じないでしょう。

 

私は過食症だった頃、太りたくないのに食べては吐いてという、そんな矛盾した行動をずっと繰り返していました。

 

食べたものを吐くくらいなら食べるな

 

そばにいる人は、

食べたものを吐くなんて常識的におかしいこと、あり得ないことだと思っているので、

明らかな矛盾を感じて不快に思い、そう指摘するかもしれませんが、

 

指摘された方も、

食べたものを吐くなんて常識的におかしいこと、あり得ないことをしていると自覚しているし、切実にこの矛盾をどうにかしたいと思っていることで、

 

他人が抱く矛盾と自分が抱く矛盾とが完全一致して、自分を追い詰めるように責めました。

 

制御不能な食欲にどうしたって太刀打ちできない、実際のところ降参して従わざるを得ない状態なのですが、

矛盾している自分を受け入れることなんてできなくて、常に矛盾している自分を責め続けるので、とても苦しい思いをしました。

 

「わかってるけど直せないの!」

「もうお願いだから放っておいてよ!」

追い詰めてくる自分に対して言っていました。

 

けれど、

過食症を越えて歳を重ねて周囲を見渡すと、世の中矛盾だらけだなと感じます。

 

多くの人が秩序正しくブレなく通っているように感じることでも、

少数の人がそこに矛盾を感じることもあるし、

 

誰もが納得するような事柄のように演出して見せて、実は矛盾だらけなこともあります。

 

例えば、

SDGs持続可能な開発目標が掲げられましたが、現状その目標達成にはほど遠いと言われています。

 

表向きガバナンスの強化をうたっていても、実際には劣悪な労働環境なんて、いくらでもあると思っていますし、

 

嫌な言い方ですが、そんな労働環境で働かされているような人たちがいるから、じゃんじゃん物が生産されて私たちは格安で物を買うことができ、経済が回っています。

 

現実と理想が大きく乖離したSDGsの目標は、矛盾だらけなわけですよね。

 

また、

時代の違い、文化の違い、それに伴い作られていった個人の価値観、

宗教など何らかで繋がれた集団に属するなどで作られた個人の価値観、

 

秩序正しくブレなく通っていることが、

時代や文化、属する集団の違いによって、

筋が通っていない、矛盾していることに変化することなんて、考えてみれば当然のことです。

 

戦後貧しい時代にあった、

生きるために食べるという意味合いから、

飽食の時代に移り変わり、

 

食べるものに溢れ、楽しむために食べるという意味合いが色濃くなってきたことで、

大食い番組がパフォーマンスとなり、食べ物を粗末にしている、フードロスに反しているなんて意見は少数なのでしょう。

 

食べたいけど太りたくないため過食嘔吐するように、

健康意識が高くてもタバコを吸うように、

不満を口にするのに結局それを受け入れるように、

矛盾の程度(多くの人が抱えているかいないか、多くの人に影響を及ぼしているか)の差はあっても、

欲や情動に動かされるのが人間です。

 

私たちは常に矛盾あることと同居しながら生きていて、

矛盾を抱えていることが人間らしさだとも言えるのだと考えれば、

 

私たちは矛盾があってもいいわけです。

人間だから。

 

自分にある矛盾を責めたくなる時もありますが、責めるのではなく、感じることが大切なんだと、過食症だった当時を振り返り思います。

 

自分を責めても、良いことなんてひとつもありませんでした。

感じるだけで、良かったんです。

 

自分にある何らかの矛盾を感じて、それを潰していくことで、人は強くなる。

それが必要なだけなんです。

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。