「過食」と「大食い」と「食べ放題」の意味合い

私は過食症だった時に、1回の過食に1時間ほどかけていましたが、その1時間を限度にもうお腹いっぱいすぎて食べられなくなりました。

 

大食い大会や食べ放題が1時間程度の設定なのは、人間の「血糖値の上昇」と関わりがあると思っています。

 

食べ物を食べると、食物中の糖分が身体に吸収され、血液中に血糖が渡り血糖値が上昇します。

 

血糖値が上昇すると脳が「もう栄養は満ちていっぱいだ」と感知して、

私たちはその脳が感知したことを受けて「お腹がいっぱい」と認識できるようになっています。

 

私たちの血糖値のピークは食後1時間ほどです。

胃の容量などもありますが、健康な人であれば、もう食べられないとなるのが、この血糖値の上昇と関係しているので、

 

大食い大会や食べ放題では、人間のお腹がいっぱいになる血糖値の上昇を見計らった1時間設定なんだと思っています。

 

大食い大会や食べ放題は、この血糖値のピークを迎える1時間の間にどれだけ胃に食べ物を詰め込めるかの勝負になるわけです。

 

ここまで書いていてナンですが、

過食症の「過食」は「大食い」や「食べ放題」とは異なります。

 

何となく、やっていることは「食べ物を大量に食べる」ことなので同じような感じですが、「食べ物を大量に食べる」ことの意味合いがそれぞれ異なり、

 

過食症の「過食」の持つ意味合いはというと、

 

「食べたくないのに食べてしまう」という自分の行為に「葛藤を感じること」にあると思っています。

 

現代でいう「食事」は、

「生きていくため身体を維持していくための栄養補給」、

「美味しいものを食べる楽しみや、リラックスしたという安心や満足による精神的栄養補給」の他、

 

「食事という娯楽やレジャー」

食べ放題は娯楽の意味合いがある気がします。

「食事というスポーツのような身体を酷使した競い合い」

フードファイターという名前の通り大食いは競い合い、自己との闘いの意味合いがある気がします。

「食事という自己顕示欲や承認欲求」

食を通した自己アピールの意味合いがある気がします。

・・・などなど。

 

多様な意味合いを持つものとなっています。

 

これに、

「過食による食事の意味合い」を加え、さらに多様な意味合いを持たせるのなら、

 

過食は「食べたくないのに食べてしまう」という「自分の行為に葛藤を感じること」で、

イコールこのことは、

 

「食べる食べないといった食事の問題」に「すり替えられた人間の精神的な成長課題」

を意味しているのだと思っています。

 

「食べたくないのに食べてしまう」その現実行為にある表面的な苦しみが重要なのではなく、

その苦しい現実行為は何によって引き起こされているのかが問題です。

 

「なんで自分は食べて吐かなければいけないのか?」

「何が過食に投影されているのか?」

「自分は何を受け入れて食べて、何を拒絶して吐き出しているのか?」

 

これを深く深く時間をかけて掘り下げていくことが精神的な成長課題になるよという意味合いなのでしょう。

 

また、付け加えるのなら、

 

過食症に陥ると「身体が自分を支配して動く」ような時なので、

過食という大量に食べる行為を「コントロールすることはできません」。

 

身体が「急激に失った脂肪分を生命の危機だと察知して栄養を欲する時」

身体が「満たされない精神的な渇望を汲み取って栄養を欲する時」

 

過食に陥る時期はそんな、

「身体が健康を求めて栄養を欲する時」で、

ホメオスタシスと呼ばれる恒常性が働いている「自然な現象」なのです。

 

過食症に陥ると、食べたくないという意思に反して勝手に過食するので、身体が独り歩きして暴走しているように感じますが、

実は「身体が精神(心)のバランスをとろうと必死に調整をしている時」なのです。

 

この最中に自分を制御することはなかなかできません。

従うしかない、

辛いことを言うようですが、苦しむしかない時期かもしれません。

 

しかし、

従うしかない、苦しむしかない葛藤する時期に、考えるべきことが先程の

「すり替えられた人間の精神的な成長課題」についてです。

 

過食症は特定の人が陥る病気ではありますが、

誰もが通る人生の障害物の1つです。

 

過食症になってしまった人は、

過食症は自分に与えられた人生の障害物だと捉えるべきで、

障害物である過食症を乗り越えることが、人生の課題だということです。

 

食べる食べないといった問題に「すり替えられた人間の精神的な成長課題」のスタートは、「自分と向き合い自分を知る」ところから始まります。

 

身体に従いつつ、モチロン嘔吐という行為や下剤の乱用という行為で反発もしつつで正解です。

 

過食に陥った「自分の弱さ」を知り、

ちょっとやそっとじゃ折れない「強い自分」になるための準備をスタートさせていくのです。

 

食事の持つ意味合いは時代によって変化していきますが、

食事と過食の意味合いである「すり替えられた人間の精神的な成長課題」がリンクするのは、

 

先述した

食事という「自己顕示欲や承認欲求」・・・「食を通した自己アピール」とも似ているなと感じてしまいます。

 

もちろん一部の人限定ですが、

食事のアピールにすり替えられたものは何なんだろう?

時々、そんな人を見たりしては、成熟さに欠ける印象を持ってしまいます。

 

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。