健康は尊く、流動的なもの。

私が勤めている特別養護老人ホーム

つい先日、お看取りステージに入った方がお二人います。

 

特別養護老人ホームは医療行為を行わない、

「終の棲家」なので、

最期を施設で迎えられる方ももちろんおられます。

 

食べられなくなる、飲めなくなると、

お医者様でなくとも、そろそろだなと分かります。

 

 

徐々に食べられる量が減っていきます。

食べられないので痩せていきます。

 

食べようという気持ちはあるのか、

食事なり水分なりを口にするけど、

飲み込めないということもあります。

 

 

イメージとしては

風邪をひいて食欲がなくて、

食べられない飲めない状態がずっと続くような感じです。

 

健康であれば回復していくけど、

回復せず全身状態は下降していきます。

 

 

生命を維持するための生理的な活動、

呼吸や内蔵の代謝などにエネルギーが消費されていきますが、

 

外からエネルギーは入ってこないので元気がでなくて

生命活動は鎮静化していきます。

 

 

食べられなくなる過程を見ていくと、

拒食症と似ていると感じます。

 

 

食事を目の前にしても、

食べる意欲がわかずに呆然としてしまう

頑張って口にしても飲み込めない

 

 

看取り期の

「生きることから死に移りゆく過程」と

 

拒食症の

食べることを自発的に拒否していた時期が進行して

「食べることを身体が受け付けなくなる過程」と

 

きっと変わりないんだろうと感じました。

 

「生きることは食べること」だと強く感じます。

 

 

つい忘れてしまうけど

健康は最も尊く大切なものです。

 

これは、

生まれ育った国も

家庭環境も関係なく、

私のように比較的平和な福祉の世界に身を置いていても、

競争社会、弱肉強食の世界に身を置いている方でも

共通で、

そうであると思っています。

 

 

健康はずっと続くものではありません。

 

時に、失われること、

脅かされることがあります。

 

だから、尊いのです。

 

 

健康という概念はとても流動的です。

 

年代やその時置かれた状況でも変化します。

 

1日くらい寝なくてもなんら問題ない若い人と、

いつもどこかが痛い、

寝たいのに眠りが浅くて寝た気がしないような高齢者とでは、

健康の捉え方が異なりますし

 

生まれつき身体に障害のある方と障害のない方とでも

健康の捉え方が異なるでしょう。

 

健康は「こうだ」と固定されるものではなく、

揺れ動くもので当然。

 

揺れに応じて

少しずつ、健康という捉え方や意味合いを変化させていくことは

生きていくことの自然な流れなのだろうと思うのです。

 

 

わたし達の命は、植物と同じです。

 

芽が出て、成長して、美しい花を咲かせます。

その後、花は枯れて小さくなり、やがて土に返ります。

 

命の芽吹きにも、成長にも、枯れて小さくなりゆく時でも、

大地からの水と太陽は必要です。

 

「水は飲食物」に例えられますが

「太陽は愛」に例えられると思っています。

 

人間はひとりでは絶対に生きられません。

 

継続的な愛をもらえない人でも

瞬間的にでも誰かに愛をもらいながら生きています。

 

特別養護老人ホームで、お看取り対応となった方は、ご家族の付き添いが許されます。

 

ご家族に見守られながら最期を迎えられる方は、本当に幸せだと思っています。