答えなんか出ないけど、特別養護老人ホームに入居することは幸せなのか考えてみる。

答えが出ないテーマですけど、日々、特別養護老人ホームの管理栄養士として働いていると、時々考えてしまうことです。

自論ばかりですけど、読んで頂けると嬉しいです。

 

まず、特別養護老人ホームは「社会福祉法人」です。

社会福祉法において社会福祉法人とは、「社会福祉事業を行うことを目的として、この法律の定めるところにより設立された法人」と定義されています。(厚生労働省HP「社会福祉法人の概要」より抜粋)

 

利益が目的ではないけど、経営のために利益を求めるのは、どこの法人もきっと同じでしょう。

 

困っている人は多くおられます。

ただ、誰でもウェルカムで入居を受け入れるわけではありません。

 

健康不安が高い人、メンタルに大きな問題がありそうな人、気性が荒い性格の人は、入居を断られることが多いです。

 

特別養護老人ホームは終の棲家なので、受け入れれば死ぬまでそこでの暮らしは続きます。

問題のある人だと受け入れる職員が大変であること、集団生活であり他のご入居者様の迷惑になることが、断られる理由となります。

 

また、ご入居されるご本人に問題はなくても、問題ありそうな大変そうな細かくうるさそうなご家族の場合も、断られることがあります。

 

社会福祉法人といえども、円滑な運営のためには困っている人を選びます。

 

そのため、ご入居されている方の多くは重篤な疾患を持たず、集団生活ができる穏やかな人の集まりなので、ご入居者されている方にとっても快適な空間かもしれません。

 

ご入居者様を支える職員はたくさんいます。その職員の中の一人として管理栄養士もいます。

志高くプライドを持って働いている人もいれば、そうではない職員もたくさんいます。

 

職員による当たり外れなんて、どの職種でもあることですが、入居すればそれが日々の生活(排泄介助・入浴介助等)に密着しています。

 

職員以外の環境としては、

外の空気を吸いに散歩にお連れすることもなかなかできない人員体制で、ワンフロアの閉鎖された空間の中での生活になります。

決められた時間に食事をして決められた時間に水分補給して、毎日一定のルーティンをこなします。

 

心身ともに健康であればあるほど、普通に具合が悪くなるような環境に感じます。

 

死ぬまで続くその環境を、真正面から受け入れることは辛くないかな?

と思ってしまうので、私が入居する立場なら、

認知機能がある程度低下してからであって欲しいと思ってしまいます。

 

けれども、身寄りもなく身の回りの事ができず基本的な生活が脅かされていた方にとっては、

どんな職員がいても閉鎖的であっても、天国のような環境に感じるかもしれません。

 

住めば都と言いますが、人それぞれです。

家族に迷惑をかけたくないからと、入居に同意された方もいれば、

認知機能の低下で周囲の環境を受け入れて生活できる方もいれば、

いつまでも帰宅願望のある方もいます。

どの方も口にしないだけで、本当はどう思っているかは分かりません。

 

施設により当たり外れもあります。

こればっかりは、入ってからじゃないと分からないと思います。

入る前はいいことばかり並べ立て、入ったら全然違っていたということもあるし、

入った時は良い環境だったとしても、経営する人間の理念が変わると、それに賛同しない職員が辞めていき、環境が変化することもあります。

 

困っている人は、介護を必要とするご本人だけではなく、ご家族様も同様です。

 

トイレではないところで用を済まされたり、被害妄想のために近所や警察に迷惑をかけたりしたら、「もう家でみるのも限界だ」となるでしょう。

 

疲労困憊した余裕のない状態では、愛していた親や親族とはいえ憎しみが湧くだろうし、殺意が芽生えるのは当たり前です。

だとしたら、距離を置くことは必要な行為で、

「最期まで介護してあげられなかった思い」

「捨てられた思い」

両者、大きな傷を抱えていくだろうけど、入居という選択は幸せなことだといえるような気がします。

 

困っている人を死ぬまで助けてくれる場所は、救世主的な場所で、すがりたくなる場所であることは間違いないでしょう。

 

私自身が特別養護老人ホームや施設に入居したいかと言われたら「嫌」だし、

介護職員に聞いても「嫌だ」と答えしか未だに聞いたことがありません。

 

自分の親を入居させたいかと聞かれても私は「嫌」と答えます。

 

けれども、いざ自分の親が介護を必要とする立場となり、自分の生活と並行できないような状態になり、自分をすり減らすような日々が続けば、

言い表せないほどの愛もあるし感謝もあるし責任も感じるだろうけど、

「一刻も早くこの状態から逃れたい」「平和な毎日を取り戻したい」と強く願う気がします。

 

多くの人がきっと、四季の移ろいを肌で感じられないような閉鎖的な環境は好まないでしょう。それは年をとっても認知機能が低下しても関係ないことでしょう。

また、そういった場所に親や親族を預けることだって、すごく後ろめたさを感じてしまうことだと想像します。

 

 

「自分が幸せであることの決定権は自分」ですから、

他人がどうこう言う問題ではないし、他人がその人の幸せを測れるものでもないのでしょう。

多くの事情が絡み、悩みに悩んだ上での決断ならば、その決断をした側も、決断を受けた側も幸せであってほしいにきまっています。

 

特別養護老人ホームへの入居は

「困っている人と、困っている人を助ける仕事で成り立っている関係」

であって、それ以上でもないし、それ以下でもないです。

慈善事業ではないからです。

そんな割り切りは入居に際して必要だと感じています。

 

幸せかどうかなんて答えが出ない前提で書いてみたけど、やっぱりグダグダになってしまってスミマセン。

でも、これから準備や気持ちの整理が必要な人もいるかもしれないと思って、グダグダでも自分が日々感じていることを残しておこうと思いました。

 

これから先に高齢者となる人達は、自分の身体が元気でいられるための手段がまだまだ豊富にあります。

年を取り健康を損ねるとその手段は減っていきます。「もう手遅れ」になることが悲しいけど増えてきてしまいます。

親や親族に手遅れが増えたとしても、

そこで自分が健康であれば、自分の不安や心配事は少なくなり負担は1つ減ります。

 

健康管理は死ぬまで続きます。

やれることはやりましょう。

広い世界で自由でいたいじゃないですか。

 

酷い逆流性食道炎だから、夜に食べたいお菓子を我慢する時は辛いけど、「この先広い世界で自由でいられるのなら安いもんだ」と思って、我慢できない時だってあるけど、長期戦で挑む価値はあると思っています。