介護されない準備のすすめ

歳をとっても人のお世話になりたくない

とは多くの人が思うことではないでしょうか?

 

誰だって、

自分で何でもできる自立した生活を望むし、

ある程度分別ある大人になれば

身の回りのことは自分ですることが普通だと思うし、

 

トイレに行くのも

ご飯を食べるのも

自分でできて当たり前のこととして

 

疑うこともないくらい

意識にも登らないくらい

ごく自然なことです。

 

その意識にも登らないくらいごく自然なことが、

高齢になるとできなくなる

「できなくなることが自然になる」

という現実が待ち受けます。

 

「できなくなることが自然になる」

その「できなくなる時期」には個人差がありますが、

 

できなくなることに関しては、

 

人間が生まれてから成長して、

成長のピークを迎え、

成長のピークを超えて、

成長ではなく衰退に向かうという

 

ごく自然な流れなので、

できなくなることは人間として当たり前の現象です。

 

 

 

老いていくことが自然な高齢者は

病気に罹患する確率も高くなります。

 

それに伴い医療費がかかるのもまた当然ですし、

介護される人が増えれば、

介護保険の財源が尽きていくことは

恐らく避けられないことです。

 

糖尿病といった生活習慣病患者も

糖尿病が原因となる糖尿病性腎症患者も、

糖尿病性腎症から人工透析へと移行した透析患者も、

 

高齢になるほど罹患しやすくなり、

 

また糖尿病などの生活習慣病は治癒しにくく、

薬の服用は延々と続くことが多いです。

透析に至っては、死ぬまで週に3回、

数時間の透析を行わなければなりません。

 

 

以前、とあるサイトで

「私たちはできる限り介護されないでいられるように、健康管理していかないといけない」

そんなブログを書いたところ、

 

「介護されたくて介護されてるんじゃない」

とコメントを頂いたことがありました。

 

コメントをくれた方は、

お母様をご自宅で介護されている男性で、

ご自身も高齢者で老老介護の身だと仰っていました。

 

「母親は介護されたい、介護されたくないと話すこともない、何も言えない。自分が介護してあげても感謝もしない。母親は介護されないと生きていけないだけだ。」

そんなコメントも頂きました。

 

ちょっと的外れなことを言われているなと思ったけれど、

介護している側からしてみたら、

「介護されないようにがんばりましょう」

みたいなことが書かれているブログを読んだら、

 

母親は家事に子育に懸命に生きてきただけだ

そんな軽々しく言いやがって

という気持ちにもなるかもしれないと思いました。

 

 

しかし、

 

「人生の質を下げず自分を守るため」

「次世代に極力迷惑をかけないため」

 

できる限り介護されないでいることは、

これからより一層必要なことだと思っています。

 

 

コメントを下さった方にもお返事しましたが、

 

人は持ちつ持たれつなので、

迷惑をかけることが悪いとは決して言っていません。

 

時代は着実に少子高齢化によって変化しており、

その変化に対応していくためには

「自らが変わるしかない」ように感じるのです。

 

これから高齢者となる者に対して、

きちんと財源は確保されているのか?

高齢者をみていくだけのマンパワーの計算はされているのか?

そんな思いがよぎります。

 

ある程度の年齢がきたら、

「できる限り介護されないように準備する」ことは、

「最大限の防衛策」と考えたほうが良いように思います。

 

「できる限り介護されないように準備する」には、

何をすればいいかと思うところですが、

 

私は

「良質な睡眠」「適切な食事」「適度な運動」

具体性のない表現になりますが、

この三本柱にしかないと思います。

 

この三本柱が保たれれば、

ある程度心と身体のバランスを保つことができ、

免疫力の強化につながります。

 

いくら免疫力を上げる食材を摂ったとしても、

それを培う土台がしっかりしていないと、

効果が半減するのは想像できると思います。

 

さらっと書けるほど簡単ではなく、

シンプルながらに奥が深いのですが、

結局は基本に還ることが一番良いんだと感じているところです。

 

また、

やったことはいつか何らかの形で跳ね返ってくるので、

悪事を働かないことも大切だと感じています。

 

 

積み重ねた結果はきっと、

何十年後、現実として現れると思っています。