若い女性の痩せ願望に本気でストップをかけたいなら、それ、本質からズレている気がします。

日本が抱える栄養問題に

若い女性の痩せがあります。

 

低体重児の出生の大きな原因にもなり、次世代にも影響することでもあるので、

厚生労働省や、公益社団法人・日本栄養士会でもこの若い女性の痩せを、これからの日本の栄養問題として取り上げています。

 

「痩せた身体で出産すると、あなたの赤ちゃんが糖尿病予備軍になる危険性があります」

「痩せ過ぎは、あなたの健康を脅かします」

「適正体重なので痩せる必要はありません」

 

痩せを加速させまいと、啓蒙活動をしているようですが、

あまり効果的ではないなと、

摂食障害と共に生きた私は感じています。

 

 

これらの啓蒙が伝わる人は、

 

きっと始めっから痩せることを強く望まないし、ましてや摂食障害になんかなりません。

 

自分のボディーイメージが正しくて

自分を愛しているから自分を大切にすることを知っていて

きちんと基準や正常値を理解できて

自分という人間を、痩せることや外側で図る尺度がなくて、

先のことをきちんと想像できる人たちです。

 

 

痩せることを望む人や、摂食障害さんの思考と真逆にいる人たちに、照準をあてるような啓蒙では

若い女性の痩せ願望を減少させるのは、とても難しいと思っています。

 

「痩せたい」

そう発する若い女性の言葉の裏には、

 

生きるか死ぬかに匹敵するような切実な痩せへの願望、

家庭環境や社会生活から生じる大きな寂しさや、そこから生まれる怒り、

自分という人間の存在意義がわからず、居場所がなく、何かにすがりつきたい思い、

 

そんな複雑すぎる感情が渦巻いていたりします。

 

摂食障害に家庭環境や社会的な背景が影響するとは、何となく想像できるしそこそこ知られていることなのですが、

それにしては、

摂食障害さんの心に届かない啓蒙ばかりだなと感じています。

 

本質は、そこじゃないでしょ

と思っています。

 

 

痩せることを切望する

痩せることに異常なまでに執着する

 

「その裏側にある貴方が本当に望むことは何ですか?」

 

その問いかけが必要だと感じています。

 

痩せることを切望することや、

拒食症や過食症など摂食障害の問題の本質は、

 

「個人の精神的な未熟さ」にあって、

それを助長するのが今の社会的背景だと、

私は思っています。

 

これは、

私の長女のように始終「痩せたい」と口にしているけど、

お友達と食べ放題に行くような一見して「痩せたい」ことなんて望んでいないような行動をとる子も、

 

「痩せたい」と切望し、拒食症や過食症となって学校にも通えず引きこもりとなってしまうような子でも、

 

「痩せたい」と望む程度は違えど

本質は同様に「個人の精神的な未熟さ」であると思っています。

 

個人の精神的な未熟さは思春期であれば当然で、

この揺れ動く多感な時期に、

 

他者と自分を比較しながら生きていくからこそ、自分を見つめることができて、

 

自分は何者なのか?

自分は何をしたいのか?

自分は何を欲しているのか?

 

そんな、己を知る手がかりを模索する初期段階ともいえる最も重要な時期だと思っています。

 

壁にぶつかればぶつかるだけ、

自分を知るチャンスを得られるともいって良い時かもしれません。

 

己を知るために他者と比較していけば、

どうやら痩せていた方が自分の評価が上がるようだ

という社会的背景が入り込んできます。

 

痩せていた方が評価が上がる

もうそれは生まれた時から刷り込みにも近い現象なので、

痩せることなんて気にしないような家庭で育っても、それは四方八方から入り込んできます。

 

そんな思春期ならではの精神的な未熟さと

社会的背景から

痩せることを切望していくわけですが、

 

切望すればするほど、

個人が抱える問題の本質からズレていきます。

 

 

例えば

将来メイクアップアーティストになりたいと思って専門学校に入学したけど、

クラスメイトはモデルさんみたいに可愛いくてお顔が小さい子が多くてびっくり

自分は顔がでかくてデブだから、

お前みたいな奴にメイクされたくないって馬鹿にされちゃうかもしれないし

お友達になってもらえないかもしれない

インスタで私だけブスでデブだと目立っちゃう

 

そんな気持ちで痩せることを切望したりするわけですが、

痩せなければいけない問題の本質は何かというと、

精神的な未熟さ故に「自分に自信が持てない」ことです。

 

この本質からのズレた問題が、

問題として取り上げられている

 

つまり、

若い女性の痩せの問題の本質は、

自分という人間に自信が持てない精神的な未熟さにあるのに、

 

表面に表れている痩せる意思を何とかしようということにスポットを当てすぎている

ということです。

 

対症療法と同じで、

根本的治療ではないということです。

 

痩せることを望む人の視界と聴覚には、フィルターがかかるようなものです。

 

痩せている人は勝者

その他は敗者

 

その極端な分け方に全てが集約されているといってもいいくらいに、ハッキリとふるい分けされます。

 

そのフィルターがかかったところに、

「あなたは十分痩せています」と言われ適正な数字を示されても無意味です。

 

大好きな大好きな彼氏に「もう少しふっくらした方がいいよ」と言われても無理なんです。

 

SNSで見る同年代のスリムな子の姿がフィルターとなり、かき消されます。

痩せることを望む若い女性は、そういう思いなんです。

 

そういう思いなのに、

痩せている若い女性への呼びかけといったら、表面的すぎる。

 

あまり言いたくもないけど、

痩せることを切望する人、摂食障害さんの気持ちを馬鹿にしないで欲しいと思います。

 

 

「痩せた身体で出産すると、あなたの赤ちゃんが糖尿病予備軍になる危険性があります」

「痩せ過ぎは、あなたの健康を脅かします」

「適正体重なので痩せる必要はありません」

 

そんな正しい知識を伝えられたところで

人の心が動かせると思っているのか?

人の気持ちがそんな単純なものだと思っているのか?

そう、言いたくなります。

 

正しい知識を頭に入れることは必要だけど、

それで、

心を動かそう、痩せることを阻止しようとは、

こればっかりは難しいと思います。

 

それこそ、

生きるか死ぬかに匹敵するような切実な痩せへの願望であって、

時に、痩せている身体は、

社会に適応していくための防御策。

 

自信のない自分を、痩せている身体という殻で覆い、必死で生きようとしている、その姿なのです。

 

今後も若い女性の痩せ願望は、減ることないだろうなと感じています。

 

合わせて読んでもらいたい過去ブログです。

「痩せという神の信仰信者」

https://blog.hatena.ne.jp/sayosalada/sayosalada.hatenablog.com/edit?entry=4207112889966233063