先週末、大食いタレントの高橋ちなりさんという方が、30歳の若さでお亡くなりになったとネットニュースで見ました。
死因は拒食症やアルコール中毒と言われているようですが、
γGDPの値が2700だなんて!こんな高い値を示すのかと思えるほどの数値に、生活はどんなだったんだろうと、いろいろ相当過酷だったんだろうと感じます。
この報道が出てから、私は高橋ちなりさんという方を知ったのですが、
この方をはじめ、「大食いタレント」に位置付けされる方は命を縮めていないか、心配になる時があります。
実際、特異体質なことは間違いないんでしょうね。
普通のごく一般サイズの胃袋には、キロ単位の食べ物を収めることはできません。
また、収めたものを自発的に嘔吐するにしても、キロ単位にも及ぶ量を吐き出すわけですから、嘔吐する際の腹圧で一般人なら胃や食道が裂孔するんじゃないかと思うのです。
嘔吐しないにしても、キロ単位の食べ物を消化するだけの強靭な消化器官を持ち合わせていないと、
なんとか胃に収めたところで、消化させることができず、嘔吐や下痢といったことで身体は過剰な食べ物を拒否する反応を示すと思います。
キロ単位の食べ物を胃に収め、それを消化し吸収させることができるのなら、「特異体質」以外の何物でもありません。
「大食いタレント」として位置付けされるような方々は、大食いタレントとしての「誇りやプロ意識」を持っていらっしゃると思っています。
持って生まれた特異な才能を、誰かが喜んで求めてくれたら、自分の特異な才能を誇らしく感じるでしょうし、
見ている人を楽しませたいとか、期待に答えたいとか、自分のパフォーマンスで人を元気にさせたいとか社会貢献的な考えにもなるでしょう。
特異な体質を自分の才能、自分の能力として、それをより輝かせよう、より高いところを目指そうとチャレンジを重ねたいと思うでしょう。
けれども、命は永遠ではなくて、身体は成長のピークを過ぎれば衰えます。
「人が持つ才能は無限である」と思っているし信じているけど、
「無限でさえもピークを過ぎれば衰退する」不変でいられない常に変化するのが自然なのでしょう。
衰えていく自然な流れに対して長期に渡り負荷をかければ、それは鍛えることを越えてストレスとなります。
度重なるストレスによって身体は「もうやめて」と次第にサインを出してきます。そして、それを無視して積もり積もれば「病気」になります。
大食いタレントさんは、身体を張って無限を求めていると思うのですが、
「限界と衰退がある身体に無限を強いる」ようなことを重ねることは、命を縮め兼ねないと感じるのです。
人間には、命を縮めてでも貫きたい、チャレンジしたい、追求したい欲求みたいなものも宿していると思っています。
命を縮める可能性があるから大食いは良くないとか、プロ意識高い人に、そういう事を言いたくはないし、私は言える立場でもないんです。
ないんですけど、
特異体質だとしても、特異体質なりの許容範囲を越えると、健康を損ねないかと、とても気になってしまいます。
これは40代まで過食症だった行き過ぎた経験があるから感じることですし、管理栄養士という観点でも思うことです。
できれば、年齢という逆らえない時間経過を考慮して、「自分なりの限界点を設定」して、「設定した限界点まで全力でチャレンジしてほしい」と思っています。
そして、限界点を越えたらそこで欲張らずに「スッと引いてほしい」とも思っています。
一流アスリートは引き際が上手ですよね。
見ている側はまだまだと思っても、スッと引く選手も多いです。
自分の限界を知っているのは、自分の身体をよく知っているからだと思います。
大食いタレントさんとはちょっと違うけど、大食いを競う人達をフードファイターと言いますよね。
アスリートもフードファイターも、そして大食いタレントも、身体を酷使することで一流まで上り詰め、またその地位を保つことも共通しています。
食べることを競技とする人なら、自分の内臓の限界をよく知っていると思いますが、
フードファイターも、大食いタレントさんも「上り詰めたら引く、世代交代の時が来たら引く」
そんな「上手な引き際」で、新たなステップへと進んでもらえるといいなと思っています。
高橋ちなりさんの話になりますが、
彼女の場合は「大食いすることに助けられ」
「その助けに潰された」のではないかと思っています。
彼女はアルコール中毒(依存性)でもあったことから、アルコールに助けられ、アルコールに潰されたと考えると理解しやすいような気がします。
彼女の依存性はアルコールに留まらず、他のものも依存対象としていたのかもしれません。
その1つが、大食いである「過食」です。
彼女は、特異体質を持ち合わせていたかもしれないけど、
大食いは本来彼女のやりたいことではなくて、極めたいことでもなくて、それで生きていきたいことでもない。
大食いは「彼女が今を生きる上で必要な助けだっただけ」じゃないかと思うのです。
生きることを模索する上で、大食いタレントという自分が注目してもらえる、凄いと言ってもらえる地位を獲得して、その自分としてのポジションにも助けられていたのだろうけど、
きっと大食いする自分は本来の自分ではなくて、
「本来の自分」と「大食いに助けられている自分」とに分断されるように、
自分が切り裂かれるような思いで、大食いしていたんじゃないかと想像してしまいます。
γGDPという数値が表すように、激しすぎる人生だった彼女の命が、とても惜しく感じます。
高橋ちなりさんについて、語られていない背景が多くあると思います。私は、不謹慎なことや的外れなことを書いているかもしれません。
不快に思われる方がいたら、本当に申し訳ありません。
自分の限界を越えてまで身体を酷使することは本当に危険です。
単なる自分のアピールの場として、注目を浴びたい欲求を満たすために大食いする人もいるみたいですが、
依存的状況に陥らなかったとしても、内臓を虐めるような行為は後々後悔することになります。
中途半端な気持ちでやっていることなら、別のことで自分をアピールできる道に路線変更した方が良いと感じています。
長くなってしまいました。
今回も相変わらずまとまらない文章なのに、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
最後に、高橋ちなりさんのご冥福を心からお祈りいたします。