自然の流れに倣い、急がないことで事が動くこともある。

食べて吐く過食症は、人間の生理的な自然に反します。

 

食べ物を口に入れて咀嚼して飲み込んで消化吸収させる生理的な営みを、強制的に阻止するべく逆流させることは、自然に反する不自然なことです。

 

あえて命を削りにいくような、生きることに反する行為を取り続ける拒食症も、不自然です。

 

自然に反する不自然な行為は、見ている人にどこか危なっかしい印象を与え、

不自然に生きることの方が、実は何倍も難しいんじゃないかと思ってきています。

 

 

私たちは自然に包まれ保護され生きています。

太陽の光からエネルギーをもらい、天が降らせる雨で潤い、それらを受容する大地から生まれた恵みを口にすることで、生命活動の原動力を頂いています。

 

上から下から、私たちは大きなエネルギーで守られているのだと感じます。

 

わたし達が生きるためには「母なる大地」「母なる海」「母なる地球」と言われる自然の保護が必要で、

それら母からの守りがないと、無力な赤ちゃんのように、わたし達は生きてはいけないのです。

 

自然は常に規則正しく循環し、時が流れています。

常に季節が巡ることで、大いなる恵みが生まれ、わたし達は成長という流れに従えるのでしょう。

 

そんな大いなる自然の中に在るわたし達が、自然に保護されている身だということを忘れ、自然の中で悪目立ちするようでは自然から干されてしまいます。

 

自分達が世界を作っていると勘違いして、自然に在ろうとしなければ、不自然な異物として排除されてしまいます。

それが、自然の摂理だからです。

 

わたし達は地球という場所を借りて生きているだけで、わたし達の世界は確かにあるけど、その世界を形作る基盤は借りているものだと理解していないといけない。

 

便利だからと必要以上に改良したり、自分のものじゃないからと汚したり、やりっぱなしで壊れた箇所を修繕しなかったり。

むやみやたらに手を加え荒らした報いが、もうすでに跳ね返ってきているように感じます。

 

わたし達は大いなる自然に倣い、大きな流れに従い、自然と共に生きなければならないのです。

 

摂食障害である方も、同じことなんです。

 

自然に反した不自然な行為は維持されることが難しいため、いずれそれは、自然の力によって在るべき(自然な)状態に引き戻されるか、自然から排除されるかで不自然な行為から解放されます。

 

自然は急がず、一定のペースで必ず循環されます。

春が来れば夏が来て、夏が来れば秋が来て、秋が来れば冬が来て、そしてまた必ず春が来ます。

決して急がず、天と地の均衡で動いていきます。

 

猛暑でいつまでも秋の気配を感じなくても、夏至を境に日は確実に短くなっていることは感じると思います。

季節はきちんと巡っているのに、その季節の巡りをおかしくさせてきたのは、わたし達ですね。

 

基盤はそのまま今も「変化なくある」のに、基盤から生じる流れを妨げるようなことをしてきたのでしょうね。

 

自然の流れに倣い、急がず

天と地である自然と、わたし達(集団でも個人でも)の均衡がとれた時、在るべき自然へと流れ始めるんだと思っています。

 

今回も相変わらずまとまりのない文章・・・。

最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。