人生100年に立ち向かう

人生100年と言われていますが

私は100年も生きたくなんかありません。

 

私が管理栄養士として働く

定員90名の特別養護老人ホームでも、

100歳の方、100歳を迎えられる方が3名いらっしゃいますし、

100歳を控えている方も数名いらっしゃいます。

 

年相応の認知機能の衰えはあるし、

食事はお粥や細かく刻んだ物を召し上がっていますが、

受け答えはそれなりにしっかりされ、

肌艶もよく

 

「えー!100歳?」

という印象だし

「100歳なんて凄いな~」

 

とは思うけど、

自分はそんなに生かされたくないと思っています。

 

現在、介護されている方やご家族の介護している方には

不謹慎な発言で申し訳ありませんが、

 

「長生きなんかしたくないし、介護なんてしたくもないし、されたくもない」

そう思っています。

 

 

介護される身になれば、

きっと多くの人が自分が介護されるとは思ってなかった

と言うだろうし、

介護されることを自ら望んだわけでもないけど、

介護されないと生きていけないからだと

有無を言わせない状況であるだろうと想像できます。

 

介護する身に立つと、

報酬がない(仕事としてではない)家族の介護は、

生活を制限され自由が奪われ

何とかしたい焦りと動かしにくい現実と、終わりが見えないことに、

様々な葛藤、抱きたくもない感情が生じるだろうと想像できます。

 

 

「介護される」「介護する」が

もはや他人事なんかではない、

「3人に1人が65歳以上」という少子高齢化社会で、

家族を介護しなければいけない状況に自分が置かれることは、

可能性として十分あるわけですし、

その逆もある。

 

今後も、

医療と薬剤が今よりずっと進歩していくと考えられるため、

自らの意志や望みに反して

命が長らえてしまうこともあるでしょう。

 

脳梗塞で倒れても、

医療の進歩でそう簡単には死ねません。

麻痺が残って社会復帰できず、

リハビリ生活を送ることの方が、圧倒的に多いでしょう。

 

100年も生かされてしまえば

自分が介護される可能性だって、十分高まるでしょう。

 

 

少子高齢化介護保険の財源の危機的状況に、

効果的な認知症治療薬の開発がより急かされ、

今後複数出てくるかもしれません。

 

保険適応が効く老化防止薬も出てくるかもしれません。

これを良しとするかどうか。

 

 

気持ちは

「もういっそのこと殺してよ!」

と叫びたくなる状況に陥っても、

生命活動を営むだけの肉体は存在してしまっているかもしれないのです。

 

 

私は

「介護されたくもない」

と思っていますが、

先程も書いたように、

3人に1人が65歳以上という少子高齢化社会で、

医療、薬剤の進歩で、

これがどこまで叶うのかは未知だなと思っています。

 

そして、

介護現場ではどこも人手がなく人材不足、

介護施設で朝昼晩、毎日食事提供をする調理現場も人材不足、

外国人雇用が急速に増えて

AIロボットの介護も本格導入されるでしょう。

 

「介護される」

その側になって

今後、自分が願うような質の良い介護が受けられるのかどうか

それもまた未知なのです。

 

 

長く生きるツールがどんどん生まれている、

長く健康に生きるツール・予防・未病対策もどんどん生まれている、

生き延びてしまう豊かな社会・恵まれた環境だから、

並行して健康長寿がセットでなければならないのでしょう。

 

「長生きなんかしたくないし、介護なんてしたくもないし、されたくもない」

そう思って、

自分は長生きを望まない生活でいいと、

自由気ままな食生活を送っていれば脳梗塞まっしぐら。

介護を必要とする未来を引き寄せる危うさがあります。

 

「介護されない自分」であるために、

介護の質なんて心配しなくてもいいように、

 

「100年も生きたくない」と思っていても、

自己管理しながらひたむきに生きるよりないのでしょう。

 

 

この人生100年に挑まなければいけないことにしろ、

生きることってどこまで行っても矛盾だらけだなと感じます。

 

現実と思考はチグハグすることばかり。

 

現実と思考を埋めようとすることに意味があるのか、

現実を受け入れることに意味があるのか、

 

どっちなのかな?とか

最近よく考えてしまいます。