「これは踏ん張りたい」その経験と思いを価値にする。

渦中にある時には分からない

ということはとっても多いです。

 

渦中を越えて、

後に気が付き思うことが、

その後の人生を描く上で重要だった

なんてことは誰もが経験していることだと思います。

 

 

人間苦しいと思わないと

本気で考える

ということをしないんじゃないかな?と思ったりします。

 

苦しくてしんどいから、

どうにかしたいと打破する方法を考えるのでしょう。

 

楽しかったら、そんなこと思いませんよね。

 

現状を維持したいと願うし、

そこでもっと楽しくなるためにと行動したとしても、

基本的に「今」を大きく動かすようなことは、しないでしょう。

 

そう考えてみれば、

苦しいとかしんどいとか思うことは

先の発展、今が改善された未来にしか向かわないと気が付きます。

 

いやいや

上がったら下がって、下がったら上がる

そんなこと当たり前でしょ

 

そう思うのだけど

渦中にある時には本当にそれが思えません。

 

いつ抜けるのか

いつここから抜け出せるのか

 

考えて行動してみたけど上手くなんか行かなかった

全ての策を試してみて、もう為す術もない

行動するエネルギーも失った

 

渦中にあれば、そう思います。

 

 

そんな時に何が必要かといったら、

 

渦中にあり

嵐にあっても、

竜巻が押し寄せても、

ひょうが降っても、

 

そこで何とか踏ん張れる強さではないでしょうか。

 

嵐が過ぎ去り、

竜巻が上空へ登り、

ひょうで痛めつけられて血だらけになっても、

 

いつでも歩き始められるだけのエネルギーは、持っていなくちゃいけない

そう思っています。

 

 

「苦しいなら逃げてもいい」

 

それは、

自分が手放してもいいと思ったことに関してだと思っています。

 

自分が「もうこれはいいや」と

手放すことを決めたのなら

 

それは、

それまではそうでなかったとしても、

 

結局のところ、

「手放そうと思った」

その現実でしかないんだと思っています。

 

自分が「本当にこれは踏ん張りたい」

と思えることなんて、

一生で恐らくそう幾つも出てこないでしょう。

 

 

拒食症と過食症といった摂食障害に長く苦しんでいた時も

いつここを抜けるのか

いつ治るのか

 

そんなことをずっとずっと考えていて

自分と向き合ってばかりいたけど、

 

摂食障害とさよならできた今、

渦中を抜けた今の方が、

 

当時よりずっとラクではあるのに、

しっかりと自分と向き合っている気がします。

 

 

渦中にある時は

「経験から学べ」

という時だとも言えるでしょう。

 

 

経験という現実的な行動から生じる

現実として見える結果から、

 

自分という人間を振り返り

見えない精神、心を高めていくこと。

自分の在り方を考えていくこと。

 

 

苦しくても、諦めたくなくて、

踏ん張りたいって思うなら、

 

きっと頑張る価値はあるだろうし、

そこで何を得るかも自分次第ですよね。

 

どんな境遇であっても、

得たものをゼロにするのも、利用価値のある数字にするのも、

自分次第です。

 

踏ん張って渦中を過ぎたとき

経験から学べたときに

 

得た数字はエネルギーとなって

また行きたいところまで、歩き始められるはずです。