100歳世代と自由度の高い私たちの世代

今の高齢者は強いなと感じます。

 

大正12年生まれの方は、

令和5年の今年100歳を迎えられます。

 

第二次世界大戦関東大震災をくぐり抜け、

貧しかった日本の経済を発展させ

平和で豊かな国へと導いてくれたのは、

この時代を生きた方々のおかげだと感じます。

 

今の高齢者は、

大正を含む方から、昭和、平成、令和と

日本の変革と激動を生きてきたわけですから

物凄い適応力だと感じています。

 

 

勤務先である特別養護老人ホームには90代のご入居者様が多く、

団塊の世代の親に当たるか当たらないか、

というところだと思いますが、

この世代の方は、

「食べ物の好き嫌いが少ない」と感じます。

 

そして、

まだまだお元気な方が多い

団塊の世代の方になると、

「好き嫌いが増える」ような気がしています。

 

あくまでも私が仕事で携わってきた中での、

個人的な感じ方ですが、

こんなところにも、

適応力というものがチラリと見えるのかなと思ったりしています。

 

食べ物もその土地その文化で変わるものなので、

海外に行って問題なくその国・その地の食事を摂れる人もいれば、

受け付けられないという人もいるでしょう。

 

時代とともに多様化する食事にも、

適応力、キャパシティが必要だと感じます。

 

適応力は生きるための強さです。

 

教科書で習った激動と変革

平和ボケしている自分には、

切り取られたモノクロの

平面の写真でしか捉えられないけれど、

 

過去という決して切り取ることのできない

今現在に続く時間の中で、

三次元で激動を体験し、

現在まで生きてこられた強さは

適応力と物凄いキャパの広さあってのことだと思います。

 

また、

特別養護老人ホームという「家」ではあるけど、

生活は守られながらも、

本当に様々な規律と制限のある

ある種特殊な環境の中で、

家族と別れ、

体調を崩さずに生活できるのは、

ご本人の適応力なんだろうと感じます。

 

歳を重ね、これから高齢に向かう私たちは

どうでしょうね。

 

私たちはもう豊かを通り越して

豊かすぎるレベルまできていると思っています。

ピーク地点です。

 

ピークは天井であって、

超えることができないので、

そうなると、

もたらされる激動や変革は、

豊かさとは逆向きになのではないかと考えてしまいます。

 

発展ではない

衰退へと向かうかもしれない

その激動と変革に、

適応していけるのか

受容できるキャパがあるのか

とても難しいと感じます。

 

 

いつも不思議に思うことがあります。

ご入居される方が、

住み慣れた家を離れ、家族がいたら家族と離れ、

「今日からここで暮らします」

と言われて何故、それを受け入れられるのかと。

 

「自宅を工事するから、工事している間、ここに居てね」

そうご家族が説得して、

永久にずっと工事中だったりもしますが、

後に、すっかり施設生活に溶け込んでいます。

 

認知機能が低下していることもあるでしょうが、

住めば都になるのなら、

それこそ適応力であり、

長寿の秘訣であり、

素晴らしいことですが、

 

娯楽も多種多様で、

手元で簡単に暇つぶしができて、

生き方の選択肢も広がり、

自由度の高い私たちの世代は、

 

いろいろと制限された施設生活を受け入れることは、

容易ではない気がします。

 

「もういつお迎えが来てもいいんだから」

なんて発言もご入居者様からよく聞くことで、

 

施設に溶け込んでいるように見えても、

ご本人の本当の気持ちは分かりませんが、

 

 

受け入れること、適応力は生きる術ではありますが、

これから高齢へと向かう私たちの世代は

食べ物の好き嫌いが現れる団塊の世代に続き、

 

「個の主張がハッキリしてくる世代」です。

 

全てを受け入れることは難しいと感じます。

 

 

今日も介護職員が忙しさで疲弊すると、

新規のご入居者様を受け入れる人員体制ではないと、

そんな話が会議で挙がりました。

 

本当に介護現場は黄色信号〜赤信号だなと感じます。

 

あまりのんびり構えていられません。

高齢になっても個の自由を保つためにも、

自分の身体は、自分で守る準備をすべきだと感じています。