続きです。
ブログにも何度も書いていますが、
私は20年以上およそ人生の半分ほど摂食障害でした。
私は壮年期真っ只中までモラトリアムを体現していたということで間違いないと思っています。
最終的には、私の身体が悲鳴を上げて過食嘔吐が強制終了する形になりましたが、
この強制終了させられる前には、
「自分の人生には自分で責任を持ちたい」
そう思うようになっていました。
育った家庭を恨んでも、生まれ変われるわけじゃない。
良いことも悪いことも、私が招いたこと。
悪いことを誰かのせい、ご先祖様のせい、神様のせいにしても何も変わらないのなら、
自分がここから動こう、現状を動かすことで良くしていくしかないと思いました。
壮年期にようやく初めて「生きる自信と強さを身に付けた時」でした。
そんな気持ちで行動している中で、過食嘔吐は「惰性のように続いていた」ので、然るべき時に取り上げられたんだと思っています。
摂食障害になるような人って、自分軸がブレブレです。赤にも青にも紫にもなれる。自分が何者か分からないためです。
そのため、周囲の環境に飲み込まれやすく影響を受けやすく、あっちに揺れてこっちに揺れて気持ちも落ち着きません。
また、自分軸がブレブレだから周囲と自分を比較してばかりいます。
自分と他人との違いにも敏感です。
他人と違うことを「私は私でいい」と思えないのは、自分軸がなくブレブレだからです。
多くの人が諭してきます。
「自分は自分」「あなたはあなたでいいじゃない」
けれども、
自分軸がない人、自分という人間が分からない人は、そもそもの自分がブレブレだから、自分が自分がわからないので、
「自分は自分」「あなたはあなたでいい」と言われても
「それはそうだろうけど・・・その自分ってどの自分なの?この今感じている自分でいいの?」そんな自分に対する不安を自分に抱きます。
今は、私が10代20代の頃よりも多くの人が多様な価値観を抱いているようにも感じますが、
そこに、必ずしもシッカリとした自分軸は備わっていないのかもしれないという印象を持ちます。
独自の価値観や個性を光らせて活躍していた芸能人が自分で命を絶ってしまうのも、
そんなモヤモヤとした自分への葛藤、いつの間にか本来の自分ではなくて虚像を生きていたような感覚を抱いていたんだろうと感じてしまいます。
私たちは、自分が思っている以上に環境の影響を受けているし、それを是正していくことも想像以上にエネルギーのいる作業なのかもしれません。
そう考えると今の時代、摂食障害にしても何にしても、「自分軸をシッカリさせる」ことが本当に大切なんだということが見えてきます。
摂食障害や若い女性の痩せを予防しようという啓蒙も増えてはきています。
近年、妊婦さんが体重増加を恐れるあまり低体重児の出産が増えるなど問題が浮上してきたことで、若い女性のダイエットへの警告が強化されてきましたが、
若い女性の痩せは増加の一途だという現実を見てみれば、その成果は上がっていないと分かります。
「しっかりバランス良く食べよう」
「無理なダイエットは健康を損ないます」
そんな表面的なところを綺麗に繕うような言葉で、摂食障害や痩せの予防は叶いません。
摂食障害はモラトリアムを体現化したものですから、しっかりとした自分軸を持つことが必要で、そんな「自分軸を育てるような社会」にしていかなければ、摂食障害はどうにもできません。
痩せている体型至上主義、痩せていることが賛美される社会にあるのに、
映えるスイーツ、映える食べ物はじゃんじゃん売り出されていき、
それでもやっぱり痩せたいと極端なダイエットに取り組み、
専門家らがダイエットはよくないからしっかり食べろと言っているテレビ画面には、スレンダーな女子アナやタレントが映り込んでいますから、
もう本当に忙しいイタチごっこです。
美味しいと言われるスイーツってどんどん増えていますよね。
何かヒットすれば、その商品を真似て各社その美味しいスイーツを発売するから、いつの間にか身近で似たようなスイーツが価格も抑えめで買えるようになって、枝分かれするようにその美味しいスイーツが全国に広がっていきます。
美味しいスイーツが広がれば、それだけその美味しいスイーツを口にする人が増えるわけですよね。
それなのに、若い女性の痩せ人口は右肩上がりです。
この太る代表でもあるようなスイーツは増えているのに、若い女性の痩せが増えているって、ちょっと面白いなと思います。
若い男性のスイーツ購入者も増えていますが、それでも今もなお、スイーツ購入者は男性より女性の方が多いようですし、
株式会社モンテールのスーパー・コンビニスイーツ白書2023では、
スイーツ購入頻度はZ世代が1番多いようなので、不思議な現象だなと感じます。
人は食べることの決定を自分自身で行っています。
それはお腹が空いたら食べるとか、美味しそうだから食べるとか、ごく自然な感情と共に自然に行動していくことなので、あまり意識にのぼらないかもしれませんが、
食べることの逆、食べないことの決定を自分自身で行っていることを思えば、食べるというごく自然にしていることの決定権が自分自身にあるんだということが良くわかります。
摂食障害の人は、そのごく自然な感情と共にある自然な行為、食べることの決定すらも揺らぎます。
食べたり吐いたりするのはその決定に揺らいでいる様で、その決定ができないのは「自分の選択に迷いがあるため」です。
自分という人間が信じられないから、
自分という人間が掴めないから、
自分という人間がわからないから、
自分の選択に自信が持てないのです。
つまり摂食障害は、
社会という自分を取り巻く環境に適応できず、生きること、アイデンティティに迷いを持った状態ということです。
摂食障害にならないためには、社会という環境に適応し迷わないようにすることが予防策となりますが、
与えられた環境に適応できない、もしかしたらそれこそ個性だと考えられるし、迷うことが人間なのだから、予防するなんてどう考えても無理だと思えます。
今の時代、摂食障害にならないための予防策は得策ではなく、
「摂食障害になっても生きる自信と強さを身に着けていく策が求められている」と思っています。
これは、摂食障害になっても仕方がない動かせない避けようもない「痩せている体型至上主義的環境」が前提であるためです。
次回に続きます。
今回も読んで頂きありがとうございました。