「肥満と痩せ」も「飽食と飢餓」も足して2で割ることができればいいのに。

私は摂食障害で、拒食症から始まり、食べては吐く過食症を経験しています。

 

食べ物が消化吸収され体重が増えることも恐怖だったし、

もう食べない!と誓うのに食べてしまう自分が卑しくて醜くて1番大嫌いでした。

 

私は10代の頃から痩せるということに囚われて、

「痩せていれば美しい」

「痩せていれば勝者」だと思って生きてきて、

最近になってようやく、今まで覆ってきた殻が少しずつ剥がれるように「そんなもんじゃない」と理解できるようになってきました。

 

私が10代だった平成に比べ、日本の社会が多様化した価値観を受け入れて、様々な場面で選択の幅が広がっていているなと感じる一方、

 

今の10代の女性が平成時代と変わらず、

「痩せていれば可愛い」「痩せていなければ可愛くない」という一定のものさしを持ち合わせることには、

若さゆえの弱さ、脆さを感じさせ、

 

また、多様化していそうで実は、演出のような表面上の装いのような、

「蓋を開けてみたら中味は同一の価値観だった」

という事実が垣間見える気がします。

 

 

以前もブログで書いたことがありますが、

日本は「栄養の二重負荷」という問題を抱えています。

「栄養の二重負荷」とは、

栄養過剰が懸念されている人(肥満や生活習慣病と、その予備群)と、栄養不良が心配される人(やせ、拒食、低栄養など)の両方が、同じ国に混在していることを指します。

 

栄養過剰に値する肥満の問題の多くは、飽食の時代、ストレス社会等を原因とする、主に「壮年期の男性の食べ過ぎによる肥満」で、

栄養不良に値するやせの問題は、「若い女性のやせ」と「高齢者の低栄養」に大きく2つに分けられます。

 

若い女性のやせは、拒食症や過食症へと発展する危険と、「低体重児の出生の問題」を抱えています。

低体重児の出生は、その赤ちゃんの未来にまで影響すると言われていて深刻です。

 

やせ志向の女性はお腹に赤ちゃんを宿しても、太りたくないと食べることを拒否します。十分な栄養が与えられない胎児は、低体重で産まれることになります。

十分に栄養を与えてもらえられず低体重で産まれた赤ちゃんは、「出生時点で飢餓状態」にあるため、いわゆるリバウンド現象のように、「将来の肥満・生活習慣病リスクが高まる」といわれています。

 

高齢者の低栄養の問題は、

加齢に伴う認知症、口腔衛生、嚥下機能など様々な要因から食べられなくなることで低栄養に陥り、

「低栄養に伴う筋力低下」から転倒骨折し、それが致命傷となって「寝たきり」になってしまうという、超高齢社会の日本において大きな問題を含んでいます。

 

15年ほど前の話になりますが、

私自身、妊娠中太りたくないと食べることを調整していました。長女の場合は徹底していて、もともとガリガリだったのに赤ちゃんと胎盤分の3kgほどしか体重増加させませんでしたが、健診では「優秀ね」と言葉をもらうほどでした。

 

しかし今は、妊婦さんの体重管理は昔に比べだいぶ緩くなっているようです。

恐らく15年前「優秀」だったことも、今では「もっと太らないと赤ちゃんに栄養が届かないわよ」と注意される時代だろうと思います。

 

 

豊かな社会で長寿であることから引き起こされる、命の質に関わる問題「肥満・高齢者の低栄養」

社会の価値基準に翻弄され産まれてくる命「若い女性のやせ志向」

 

日本が抱える「栄養の二重負荷」は、根が深いように感じます。

 

食べては吐く自分を何とかしたかったのに、価値基準からはみ出すことが怖くて止めることができなかった。そんな当事者であったからこそ問題の深さがよく分かります。

 

 

また、栄養の二重負荷は「日本」という規模のものではなく、「世界」というスケールで捉えることができます。

 

貧困で飢餓や感染症に苦しみ、常に死と隣り合わせかのような日々を過ごさなければいけない国と、

裕福で美食や飽食を楽しみ、食べ過ぎる満ち足りすぎる国と、

 

負荷の内容は異なりますが、「世界の縮図が日本の栄養問題にも現れている」ように感じます。

 

日本も、このまま物価高騰が続けば、深刻な貧困層が増える懸念もされます。

日本は少子化で人口減少傾向ですが、世界人口は増加傾向なので、食糧が足りなくなると予測されているので、将来的にみてもやはり、食糧や物価の高騰は否めず、長期的にみても経済状況は厳しさを増すのかもしれませんね。

 

世界の縮図って至るところでみてとれます。

私たちは世界の一部として存在しているのですから、当たり前といえば当たり前ですよね。

 

 

日本の栄養の二重負荷は

飽食であること、痩せていることが圧倒的に賛美されるという

「社会的な背景が長期にわたって絡んでいる問題」だけに、改善に向かうのが非常に難しいと感じていますが、

高齢者の低栄養への対策アプローチ(理解・予防)はまだ始まったばかりなので、「これからが本腰し」だと思っています。

 

 

「肥満と痩せ」も「飽食と飢餓」も

足して2で割ることができればいいのにと思うのに、物事は大きく二極化してしまうことが多いですね。

 

極端と極端が成立するのは自然の摂理で、大きく捉えればそれはそれでバランスがとれているのでしょうが・・・。

 

世界の誰もが水や太陽から生み出された農作物の恩恵を必要なぶんだけ受けられる、そのバランスがとれた状態というのが叶えられないのは、

産まれ落ちた土地によって運不運が決まるとでも言えるかのような無情さを感じてしまいます。

日本に生まれただけで、私たちはきっと幸運なんでしょうね。